ちゃおチャオブログ

日々の連続

造幣局の通り抜けと醍醐の葉桜(16)田島氏との再会。

大阪城を出て森ノ宮駅に向かう通路には植木市が開催されていた。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
イメージ 1
 
 
 
こうした植木市も通行人の目を楽しませてくれる。
イメージ 2
 
 
人工の美は時に自然の美を越えている。
イメージ 3
 
 
公園を後にした。
イメージ 4
 
 
浪速にあるグループホームさくらんぼ」。
イメージ 5
 
 
 
 
 
今回の関西出張は奈良での1泊出張で終了なのだが、大阪のホームにいる旧知の田島氏と会うため、今晩は大阪市内でもう1泊することにした。事前の電話連絡では、当方が鶴橋へ行こう、と誘ったのだが、彼はじゃんじゃん横丁が良いと譲らず、まあ、今回は大阪人の彼の意見に従おう、と浪速にあるグループホームへ夕方訪問する約束になっていた。

午後造幣局の通り抜けをし、大阪城公園をゆっくり横断して森ノ宮まで出て、駅前のFujiyaにて手土産の洋菓子を買い、5時近く浪速にあるグループホームさくらんぼ」を訪ねた。老人ホームと言うのは過去訪問したことは無いのだが、何かSecurityが厳重で、自由に出入り出来ない建物になっている。呼び鈴を押して来訪の意を告げると、4階に来て下さい、と言われ、エレベーターで上がると、先ず施設の職員に出迎えられ、小部屋に案内された。

彼女の曰く、「ここは軽度のアルコール障碍者グループホームで、入居者は自由に外出できない。田島さんもお会いすることを随分楽しみにしていたが、もし今日一緒に外出し、少しでもアルコールが入ると、今までの努力が水泡になります。この部屋で話すことは何時間でも構いません。しかし、外に連れ出すのはご遠慮下さい。」と。

ああ、グループホームとはそういう事だったのか・・。彼も随分優雅な施設に入ったものと、当方一人合点していたが、優雅どころか、軟禁ではないのか。そう考えている矢先に田島氏が部屋に入ってきた。前回奈良に来た時以来だから3年振りだ。以前の日に焼けた赤銅色の顔から垢抜けた、ふっくらした顔立ちに変わっている。灰汁が抜けたと言うか、垢が落ちたというか・・。以前の悪党から童子、童心に先祖返りしたような感があった。

テーブルを挟んでこもごも話した。嘗て彼とこんな形で話したことはなかった。何か面接をしているようで、少しぎこちなく、チグハグした感じもあった。そうだ、彼とは間にお酒が無いと、元気な話は出来ないのだ。嘗て酒抜きで、普通の会話などしたことはなかったのだから。

今年80になると言う。いや、自分でも良く分からない、82か3になるか・・。人間80を越えれば、歳など幾つでも良いや。80も83も違いはないのだから。

どうなんだ、田島さん、アル中が治れば、ここから出られるのか?ここから1日も早く出ろよ、そうしたら又大阪へすっ飛んでくる、鶴橋で大いに飲もうや!

いやーコムさん、それは無理だよ。ここからは一生出られない。ここを出るときは死んだ時だよ。ここで死ぬしかないんだ。

何言っているんだ田島! それじゃ刑務所以下じゃないか。そんなバカな話はないだろう。オレが家族に掛け合ってやろうか!

無理だ、無理だ、家族もそれを望んでいる。それに1年中このビルの中にいると言う訳でもない。皆で時々は近くのスーパーまで買い物に出ることもある。それで良いじゃないか。充分だよ。今日は残念だ。じゃんじゃん横丁へ案内する約束が果たせなくなって。

鬼の目にも涙という。今までの田島氏への記憶の中では般若の形相しか思い浮かべることが出来なかったが、面相が変わると共に心情も変わるのか・・、目蓋に薄っすらと涙ぐむ表情も見せていた。あの大村の予科練から生きかえり、すさんだ浪速の街で幅を利かせ、奈良の学園都市に一家を構えるまでになり、今は十分な年金も入ってくる。これが彼の人生の最後の時間とすれば、心の平安を取り戻している今こそ、本当の安らぎがあるのかも知れない。

「又来るよ」と言いつつ施設を後にしたが、これが彼との今生の別れになるかも知れない。それでも良いだろう。現生の中でもう一度彼とも会うことが出来、又、別れを告げることが出来たのだから。浪速から鶴橋に出て、ガード下のホルモン店で、ホルモンセットを食べながら、3年前の奈良での出来事、会社が難波にあった頃の出来事等々思い出しつつ、少し食べ飲み、ほろ酔いとなった。

取りとめのない会話の中で、奈良浮見堂の謝罪も言いそびれてしまった。もう一度来てやろう。この先、何年後になるかは分からないが・・。
 
 
 
 
グループホームという所へは初めて訪問したが、云わば軟禁状態の刑務所のような感じのところだ。
イメージ 6
 
 
 
はにかみと謙虚。以前の田島氏からは想像も出来ないような柔和な顔付だった。
イメージ 7
 
 
別れを惜しみ施設を後にする。
イメージ 8
 
 
鶴橋に来たのは20年振りだろうか・・。今はもう韓国の街のようだ。
 
イメージ 9
 
 
イメージ 10
 
 
 
ガード下のホルモン焼き屋にて田島氏を思い出しつつホルモンセットでほろ酔いとなる。 20数年前、この近くの2階の大部屋で、もうもうとした煙の中、田島氏と大いに飲み、喰ったことを思い出していた。
イメージ 11