ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(22)水中寺院「YELE PAGODA」。

川の中程に水中寺院が建っている。
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人々はこの岸から渡船に乗って中洲に渡る。
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中洲に立つ寺院。幻想的だ。
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しかし洪水とか増水でもこの島は大丈夫だろうか・・
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この寺の名前がようやく分かった。「KYAIK HMAN WON YELE PAGODA KYAUKTAN」
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この場所は海辺の町、チャウタン(KYAUKTAN)だったのだ。
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タクシー運転手、ビリーとかビルとか、そんな名前を言っていたが、自分はここで待っているから、1時間程ゆっくり寺院を見てきなよ、と言われ、車から降ろされる。お寺には小さな渡し船が何艘も出ていて、行き来している。外人など全くいない。渡船の料金所、お寺への入寺料を徴収する窓口もあったが、当方外人ゆえか相手にしてもらえず、中洲に渡るのは諦めて、岸の周辺に広がっている門前市を眺めることにする。

この門前市の賑わいはタイと共通している。多くの参詣者が集まる場所。お参りした後に何かお土産でも買って行こう、という意識がどこの国の人にも生まれるのだろう。子供のおもちゃから子供の用品。一緒に連れてきた子供からせがまれるのか、家で留守番をしている子供に買って行ってやるのか、そうした店も多い。

対岸から中洲の中の寺院を眺める。中洲全体が一つのお寺になっていて、規模の違いはあるが先年見たモンサンミシェルの構図と似ている。賑やかさの度合いは全く違うが江の島の弁財天もこうした背景があるのか。お寺の名前を見ると「KYAIK WON YELE PAGODA KYAUKTAN」と出ている。最後の「KYAUKTAN」(チャウタン)はこの町の名前で、もう海に近い場所だ。人々は嘗ての江の島と同じように舟でこの中洲のお寺にやってきて、参詣していたのだろうか・・。ここにも尚中国海洋民族の観音信仰が及んでいるのだろうか・・。

お寺の賑わいを遠くに眺め、訳も分からない果物を買って食べても見たが、そろそろ昼食時、タクシーの場所に戻ると、そのドライバー、案に相違せず新聞を熱心に読んでいた。今年のお正月ミャワデーを半日歩いたが、その時地元の人にアウンサウンスーチーをどう思うかと聞かれたが、彼も含め今この国は大きな政治変動の流れの中にあり、国民の関心も高く、ニュースに飢えているのかも知れない。戦後60年にして、漸く自分たちで、自分たちの国を取り戻すのだと。
 
 
 
 
 
岸辺は賑やかな門前市となっている。
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例大祭の日にはすごい人で溢れかえるに違いない。
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果物なども豊富に売られている。
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お寺に捧げる花なども。
 
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この丸い果物を食べてみたが、余り美味しくなかった。
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川エビをから揚げにしたようなものも大量に売られている。団扇のようなこの一山が50円もしない。
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タクシーの場所まで戻ったら、運転手のビル君が熱心に新聞を読んでいた。
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