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日々の連続

江南10都市巡りの旅(12)蘇州の大運河。

中国人の遊び心か・・。蘇州大運河には、このような人が歩くだけの目的の大きな石橋が造られている。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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石橋の上から大運河を眺める。
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反対側の景色。遊覧船なども出ている。
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川辺の公園。城郭の跡なども見える。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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ここからは数多くの遊覧船や屋形船が出ているようだ。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
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遠方に見える蘇州の中心部。
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紀元前221年、秦の始皇帝が春秋戦後の混乱を収め、史上初めて中国全土を一つの国にまとめ、強大な帝国を作って本人自身は始めの皇帝、即ち「始皇帝」と名乗ったが、その強大な秦も僅か15年で滅んでしまった。その遠因としては、かの長大な万里の長城の建設にあり、人民を疲弊させたことも一つの原因に上げられている。

同様にこの蘇州の大運河、正式名は「京杭大運河」。これも又後漢以降の中国の長い戦乱に終止符を打ち、581年、隋が全土を掌握し、中原に覇権を打ち立てたが、世の中が平和になって、次に手を付けたのが、この南北を結ぶ長大な運河の掘削だった。

2代皇帝煬帝黄河の北の北京(燕京)から揚子江の南の杭州までの約2500キロに渡る長大な運河の建設を命じ、604年に着手された。6年後の610年、この大運河が完成したが、その煬帝が死んで間も無く隋は滅び、唐にとって代わられた。丁度秦の長城建設の経済的負担が尾を引いたように、この運河建設は隋の経済に重くのしかかったのが滅亡の遠因となっていた。

二つの巨大プロジェクトは二つの巨大帝国を滅ぼしてしまったが、長城で言えば2000年、運河で言えば1500年経った今も厳然としてそこに残され、一つは観光の大きな資産として、他の一つは現在も優れた水運として中国経済に寄与し、世界遺産ともなっている。

今この人工的に作られた巨大な石橋、それは単に遊歩道の目的だけで作られたものだが、太鼓橋のような何十段もの石段を上ってその橋の中央に立ち、南北に流れる長大な運河を眺める。何人もの遣隋使、遣唐使がこの運河を通り、洛陽、長安に向かっただろう。蘇東坡も白楽天もこの運河を通り、杭州に赴任したに違いない。当時の中国の大動脈。これだけ広く水量豊富なら軍艦だって通れないことは無い。現に清の皇帝もこの運河を通り北京からここ蘇州に何回もきている。多分、軍艦に守られて。

今は平和な時代。岸辺に遊ぶ親子連れもいる。水辺の風景。1500年前、中国皇帝は確かな資産を後世の人々に残してくれていた。個の高架の石橋の上に佇み、暮れゆく夕日を眺め、長い歳月、時の流れを思った。今も滔々と水が流れている。
 
 
 
 
総延長、2500キロ。日本列島の2倍の長さの運河には気が遠くなる。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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管理事務所の建物か・・。
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岸辺の様子。
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富士山と同じで、近くで見るとゴミなどが浮いている。
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こうした不埒者はどこの国にもいるのだろう。
 
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しかしこうした死んだ魚浮かび上がっているのは、少し気になるところだが・・。
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