蓬莱閣から下ってきて、小川で遊ぶ父子の姿を見てから、更に下ると、大きな合歓の木があった。
ああ、紹興の合歓。合歓と西施か・・
合歓の大木を見て、暫し芭蕉と西施を想う。
・・・うーん、緋合歓。「雨に西施が合歓の花」か・・・
と、鳥籠を持った人が下からやってきた。カメラを向けるとニコリと笑顔を返す。
府山はそれ程高い山ではないので、麓、などと仰々しく言うことも無いかも知れないが、山域は見た目よりも奥行きが深く、中々平地には着かない。山中の途中には小公園があったり、四阿があったり、小川などもあって山中の雰囲気は抜群だ。父子連れが遊んでいた小川を通り過ぎると漸く平地になるが、その辺りでもまだ里山の雰囲気である。
殆ど山を下りかけた辺りに合歓の大木がある。緋合歓だ。芭蕉が象潟で合歓の句を得たのは、梅雨の頃だから、新暦で言う6月頃か。丁度今の季節だ。ここ紹興でも今合歓が満開である。芭蕉は合歓と西施の美貌を結び付けて作句したが、成程、合歓と言うのは中国原産で、この事を知っていて「象潟や雨に西施の合歓の花」を作句したのか。こうして山道を歩きながら満開の合歓を見ていたら、つい、芭蕉を思い出し、その先の西施に思いを馳せた。
西施は楊貴妃と並ぶ中国三美人の一人だが、ここ紹興の生まれ。丁度越王勾践の時代に生きた美人で、勾践が呉、今の蘇州を王都としていたが、その呉との戦いに敗れ、ここ紹興で臥薪嘗胆していた当時、呉王夫差に対する貢物として献上された美女の一人だった。西施は献上品として呉、今の蘇州に送られたが、国を想う心は失わず、呉王夫差を籠絡し、結果、越王勾践が呉国を滅ぼすことになったのだが、そうした事より、西施は又傾城の美女とも言われている。
大きな合歓の木、そのピンク色に染まった花弁を眺め、芭蕉や西施のことを想っていると、向うから鳥籠を両手に持った人がやってくる。鳥籠二つも持って大変だが、これから山中に入り込み、探鳥をするのだろう。当方がカメラを向けると、何かはにかむような笑顔を見せていた。気持ちの優しい人に違いない。
段々人家の屋根も増えてきて、先刻の渓流が立派な小川になって、更に池になるまでの幅広の川になる頃、ポッと人家の通りに出た。山と人家は隣り合わせに接している。一旦通りに出るが、その直ぐ先に又、大きな建物の破風が見える。近付いて中を覗くと「越王䑓」とある。ああ、、ここは是非か寄って見なければ。
うーん、この府山公園、望海亭の謂れが石に彫られている。蓬莱閣か・・。蓬莱(山)と言ったら、日本のことじゃないか・・
上流で父子が遊んでいた渓流は、麓ではこんな大きな池になっている。
池を通り過ぎると町の通りになっている。
その先にまた奥床しい建物が見える。
む、何、越王䑓・・。ここは是非立ち寄らなくては。