ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(133)龍華古寺でお経を聞いて寺を出る。

禅宗のお寺らしいさっぱりとした裏庭。
 
 
 
 
大慈悲父? 観音堂か・・
 
 
 
ああ、観音様だ。
 
 
 
 
千手観音もいる
 
 
 
 
これからこの寺のお坊さんの法話と唱和が始まる。
 
 
 
 
 
この位牌堂の後ろには更に拝殿などもあり、三尊、千手観音などが安置されている。日本のお寺ではこんなにあちこちの堂宇にいろんな佛が安置されているということはない。三十三間堂にしても一カ所に50体の千手観音を含め千体の仏像が安置されているが、それは一つの堂宇三十三間堂内の1カ所に収まっている。この龍華古寺は30棟以上の堂宇の中に、それぞれのご本尊が安置されているので、参詣者も大変だ。尤も参詣者は自身の帰依している仏の拝殿に行き、こうして全部を見て回るのは、観光客か寺の関係者にしか過ぎないだろう。

三聖寶殿の横を入ったところにお経堂がある。ここには一般の信者が集まってきていて、これから始まる僧侶の訓話を待っている。様子をみていると、皆、お経本を手に、お坊さんの主導するお経に唱和している。日本の風景と変わらない。唱和しているお経も日本のお経とは方言程度にしか違わないのだろう。日本も中国も韓国もベトナムも共通の大乗国なのだ。尤も現在の韓国は既に仏教国とは言えず、キリスト教国に含めるべきかも知れないが。

お土産店で仏具を買う人、経本を買う人、線香や蝋燭、仏像などを贖う人々。こうして見ると共産主義者無神論者だというカテゴリーは、少なくとも中国人に関しては当てはまらないだろう。中国人の宗教は何か、と問われれば、即ち仏教、となるだろう。儒教にしても道教にしても、それは生き方、思想、生活の規範であって、宗教とはやや異なっている。共産中国になり、宗教打破が叫ばれたとしても、人々の佛への帰依の心を打ち毀すことは出来なかった。各地の仏教人を廻り、人々の仏教への回帰の強いエネルギーを感ずるものがあった。
 
 
 
 
土産物ショップで。
 
 
 
ここでは経本などが売られている。
 
 
 
さあ、もう出口だ。随分見て回った。
 
 
 
龍華古寺、入口。ここから見る限りではそれ程広い境内には見えなかったが・・。
 
 
 
龍華古寺示意図。これだけ沢山の堂宇が立ち並んでいて、その一つ一つに本尊が安置されている。