ちゃおチャオブログ

日々の連続

「沖縄の4日間」(19)釣り船「かりん丸」と自宅のかりん。

橋を渡って屋我地島に入ると、直ぐの所に先刻橋の上から眺めた素晴らしい砂浜が目の前に広がっていた。
 
 
 
この浜辺の出口付近に小さな船溜まりが作られていて、彼の漁船は陸揚げされていた。
 
 
 
漁の話をする佃さん。全くの漁師の顔だ。
 
 
 
漁船の名前は「かりん丸」という。後で知ったが、愛犬の名前を付けたそうだ。
 
 
 
さて、これから元名護医師会長の邸宅へお邪魔する。
 
 
 
 
 
 
奥武島から屋我地島に渡る見晴らしの良い大橋の直ぐの場所に小さな船溜まりがあり、何艘かのボートが陸揚げされている。その中の一つが佃さんの釣り船で、「かりん」丸と命名されている。その意味を聞くと、自宅で飼っている愛犬の名前で、ボートにも犬と同じ名前を付けたとのことであった。
 
毎朝このボートに乗って近海の漁場まで出て、名護の魚市場まで持って行ってセリにかけるとのことである。たまたまここ数日舟を陸揚げしているが、海上にある時は、海が時化ない限り、殆ど毎日そうした生活を送っている、とのことである。彼は元々釣り好きで、休日などにはよく釣りに出かけていたようだが、今はもう名実ともに漁師の生活だ。燃料代も年毎に高くなってきていて、余り遠くの漁場までは行けないようだ。尖閣へも行きたい希望もあったが、このボートではちょっと無理だろう。経費が掛かり過ぎて、釣果に見合わない、とのことである。一本釣りだから、値段の張る魚が釣れれば助かるが、雑魚ばかりだと足代も出ないとのこと。
 
沖縄に移住して3年、4年、彼の理想とするこれからの人生は「老人と海」の主人公、バハマの漁師で、小さなボートで沖に出て、そのボートよりも大きなカジキマグロを釣り上げることで、いつの日か彼もその老人同様に人の背丈よりも大きな大物を釣り上げるだろう。今回は残念ながらボートが陸揚げされていて、皆で海上に出ることは出来なかったが、次回来る時は先刻の民宿に泊まり、是非か我々を沖釣りに案内したい、とのことだった。
 
この船溜まりからほんの僅かな距離の所に彼の自宅があった。以前年賀状でこの自宅で寛ぐ家族の写真を見た記憶があるが、実際に来てみると、真っ白な鉄筋作りの住宅で、敷地も200坪以上もあるような豪邸で、今は高齢の母親と二人で住んでいるとのことである。自宅の庭に入った途端、その母親よりも先に愛犬の「かりん」が飛び出してきて、我々、不時の訪問客を大歓迎してくれる。小さな小型のプードル犬で、庭中を走り回っては喜びを表している。
 
彼が沖縄に移住した理由は元々釣り好きだったということがあったかも知れないが、それ以上に大きな理由は、沖縄出身の奥さんが癌を患い、その療養を兼ねて彼女の出身地であるこの奥武島の集落に転居したのだが、転居して間もなく、1年も経たない内にあっけなく亡くなってしまった。まだ50代後半だった。奥さんの最後の時間を本人の希望を叶える形で、船橋の自宅を処分した上で、家族総出で転居してきたのだが、彼の心根の優しさ、夫婦仲が忍ばれた。
 
子供二人も成人し島から巣立ち、今は90歳近くの実母と二人でこの家で生活しているが、高齢の母親も沖縄の空気が合っているのか、元気そのもので、我々4人にコーヒーを入れてくれたりして、元名護医師会会長の手入れの行き届いた広い庭先で、程よい日差しの沖縄の陽光の元、ゆっくり寛ぐことができた。全くゆっくりとしたAfternoon Tea Timeを過ごすことができたのだった。
 
今日は「シーミー」。本当なら彼は朝から親族の集る墓地に行って、亡き妻への供養、再会を果たすべきなのだが、我々がやってくるというので、半日を費やし、案内してくれた。この後、屋我地の集落にあるお墓へ行くようだ。多分そうして彼は残りの人生をこの島で過ごし、老母を見取り、亡き妻を供養し続けるだろう。長居した。そろそろお暇ましよう。来年再訪し、ゆっくり語ろうではないか。
 
 
 
 
最初に我々不意の訪問客を迎えてくれたのは、愛犬の「かりん」ちゃん。
 
 
 
沖縄風の大きくて、立派な邸宅だ。この家に移り住んで間もなく、奥さんを癌で亡くした。
 
 
 
90歳近くになる佃さんの母親のいれてくれたコーヒーに我々4人も寛ぐ。お婆ちゃんももううちなんちゅう(沖縄人)の顔立ちになっている。
 
 
 
広くて良い庭だ。いつまでものんびりしていたい。
 
 
 
彼も彼の老母もこの場所を終の棲家と決めている。フロリダと屋我地と場所は違うが、ヘミングウエイの小説の中を生きる人生のように・・・。