ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(8)トロイ遺跡観光。

木馬の前で記念写真を撮ってから、遺跡の観光に回る。
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ここは紀元以前には、2600年間にわたって、トロイと言う一つの都市国だった。
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今、我々は数千年前の都市国家の中を歩いている。
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掘り出されたギリシャ風の石柱などが並べられている。
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ここはヨーロッパに近いから、西洋人の観光客も良く来ている。
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オーデオガイドなどもあるが、我々ツアー客には、専属のガイドが案内してくれる。
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トロイ遺跡公園の入り口に置かれている木馬は、日本の家屋で言えば3階建て位の大きさで、観光客はこの木馬の中に入ることもでき、外の景色を眺めることができる。中は2層に分かれていて、中に人を押し詰めれば300人位の兵士が潜むことは可能だ。シュリーマンは、そうしたギリシャ神話、ホメロス叙事詩を史実と信じ、当時土に埋もれていたこの土地を発掘し、2500年も昔のこのトロイの遺跡を発見したのは大した業績だった。今こうして我々、遥か遠くの極東の国からツアーで大挙押しかけ、この複製の木馬に入り込むことなど、100年前のシュリーマンにしてみれば全く想像できなかったことだろう。

さて、木馬の周辺で一しきり写真撮影など行って、いよいよこれから遺跡巡りとなる。ここは現在も発掘が続けられ、又、当時の状態への修復も続けられている。紀元前3000年頃から前400年までの凡そ2600年間栄えた都市国家で、小アジアを代表するPolice(都市国家)だった。遺跡は9層まであるが、観光コースは道順になっていて、ガイドに従って進んでいく。今残されている構築物は石垣や土台だけで、木造部分は全て失われている。しかし、こうした石組の小道を歩いて行くと、3000年、4000年前のトロイ人の生活が偲ばれた。

トルコのこの辺りは昔から「小アジア」と呼ばれている。先刻フェリーで渡ったダーダネルス海峡から先はアジア大陸だから、そんな風に呼ばれたのかも知れない。当時の「大アジア」はペルシャ帝国だ。そうした大国の狭間にあって、トロイ初め、エーゲ海に面する幾つかの都市国家は、貿易等で国家の財政を豊かにし、個性的な都市国家を作っていた。エーゲ海の先はギリシャ、地中海、又右方向にはダーダネルス海峡ボスポラス海峡の先には黒海に面する各都市が繁栄していた。確かにここは貿易の要衝でもあった。
 
 
 
 
古い遺跡で約5000年前の石垣もある。
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今現在、壊れた部分の修復が行われている。
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ああ、ここは港へ通じる大道だ。日本で言えば大手門。昔はここから800m先が海(エーゲ海)だったとのこと。
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英文の案内書も出ている。
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こうした土に埋もれた中から城壁を掘り出していくのは大変な作業だ。
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さて、これからこの石畳を歩きアテナイ神殿に向かう。
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