木馬の前で記念写真を撮ってから、遺跡の観光に回る。
ここは紀元以前には、2600年間にわたって、トロイと言う一つの都市国だった。
今、我々は数千年前の都市国家の中を歩いている。
掘り出されたギリシャ風の石柱などが並べられている。
ここはヨーロッパに近いから、西洋人の観光客も良く来ている。
オーデオガイドなどもあるが、我々ツアー客には、専属のガイドが案内してくれる。
トロイ遺跡公園の入り口に置かれている木馬は、日本の家屋で言えば3階建て位の大きさで、観光客はこの木馬の中に入ることもでき、外の景色を眺めることができる。中は2層に分かれていて、中に人を押し詰めれば300人位の兵士が潜むことは可能だ。シュリーマンは、そうしたギリシャ神話、ホメロスの叙事詩を史実と信じ、当時土に埋もれていたこの土地を発掘し、2500年も昔のこのトロイの遺跡を発見したのは大した業績だった。今こうして我々、遥か遠くの極東の国からツアーで大挙押しかけ、この複製の木馬に入り込むことなど、100年前のシュリーマンにしてみれば全く想像できなかったことだろう。
さて、木馬の周辺で一しきり写真撮影など行って、いよいよこれから遺跡巡りとなる。ここは現在も発掘が続けられ、又、当時の状態への修復も続けられている。紀元前3000年頃から前400年までの凡そ2600年間栄えた都市国家で、小アジアを代表するPolice(都市国家)だった。遺跡は9層まであるが、観光コースは道順になっていて、ガイドに従って進んでいく。今残されている構築物は石垣や土台だけで、木造部分は全て失われている。しかし、こうした石組の小道を歩いて行くと、3000年、4000年前のトロイ人の生活が偲ばれた。
トルコのこの辺りは昔から「小アジア」と呼ばれている。先刻フェリーで渡ったダーダネルス海峡から先はアジア大陸だから、そんな風に呼ばれたのかも知れない。当時の「大アジア」はペルシャ帝国だ。そうした大国の狭間にあって、トロイ初め、エーゲ海に面する幾つかの都市国家は、貿易等で国家の財政を豊かにし、個性的な都市国家を作っていた。エーゲ海の先はギリシャ、地中海、又右方向にはダーダネルス海峡、ボスポラス海峡の先には黒海に面する各都市が繁栄していた。確かにここは貿易の要衝でもあった。
さて、木馬の周辺で一しきり写真撮影など行って、いよいよこれから遺跡巡りとなる。ここは現在も発掘が続けられ、又、当時の状態への修復も続けられている。紀元前3000年頃から前400年までの凡そ2600年間栄えた都市国家で、小アジアを代表するPolice(都市国家)だった。遺跡は9層まであるが、観光コースは道順になっていて、ガイドに従って進んでいく。今残されている構築物は石垣や土台だけで、木造部分は全て失われている。しかし、こうした石組の小道を歩いて行くと、3000年、4000年前のトロイ人の生活が偲ばれた。
トルコのこの辺りは昔から「小アジア」と呼ばれている。先刻フェリーで渡ったダーダネルス海峡から先はアジア大陸だから、そんな風に呼ばれたのかも知れない。当時の「大アジア」はペルシャ帝国だ。そうした大国の狭間にあって、トロイ初め、エーゲ海に面する幾つかの都市国家は、貿易等で国家の財政を豊かにし、個性的な都市国家を作っていた。エーゲ海の先はギリシャ、地中海、又右方向にはダーダネルス海峡、ボスポラス海峡の先には黒海に面する各都市が繁栄していた。確かにここは貿易の要衝でもあった。