ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(9)トロイ遺跡のアテナ神殿。

強固な石垣は、トロイ戦争で、ギリシャ軍からの攻撃を10年間以上押し返してきた。
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これが当時の石と石組。野面積みだ。
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ああ、アテナ神殿にやってきた。
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ああ、ここがアレキサンダーの建てたアテナ神殿跡か・・
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今は平野になっているが、前方遥か先にエーゲ海が見える。
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これからトロイ遺跡のメイン、この都市国家の中心部に当たるアテナ神殿に向かう。これはアレキサンダー大王が建設したと言われる。トロイ戦争はアレキサンダーの200年程前の事件だから、当時、この町はギリシャの植民都市になっていた。このアレキサンダー大王東征の時点で、この町は3000年近くの歴史を有していたが、その間には幾多の戦争があり、街が破壊され、その後再建され、既にこの時街はは9層の上に建っていた。即ち、街は少なくとも8回は破壊され、その上に新たに都市が建設され、この時点では9回目の再建都市だったのだ。

しかしその後は、アレキサンダー亡き後、シュリーマンが現れるまでの約2000年の長きに亘り、この町は土の中に埋もれ、廃墟となっていたのだった。2000年の時を経て、今再び人々の前に姿を現している。今我々は、その古代人が歩いたと同じ石畳の上を歩き、神殿に向かう。

アテナ神殿で有名なものは、現在もアテネアクロポリスの丘に建っているパルテノン神殿だが、このギリシャ神話の女神は、ギリシャの各植民都市、城塞都市の守護神として、各地に建てられていた。アレクサンダーがペルシャを破り、この小アジア地方を領土として、ここトロイにもアテナ神殿が建築されたのだ。

野面積みのような石垣というか、城壁の間を通り抜けて行くと、目の前にぽっかりと神殿の跡地が開けている。古代人はここで、神の神託を得たり、儀式を行ったり、生贄を捧げたのだ。映画の舞台装置のような神殿跡が目の前に広がっていた。
 
 
 
 
当時の祭祀を行った跡が発掘されている。
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2500年前の情景が蘇る。
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当時の都市の復元図。左下にアテナ神殿がある。
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巡回路に従って、先に進む。
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次は円形球場だ。
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