ちゃおチャオブログ

日々の連続

村上春樹氏「騎士団長殺し」を読む。

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少しの例外を除いてここ数年本を買ったことはない。殆どが図書館で済ませている。本を買っても一度読めばそれきりで、2度読み、3度読みするなどということは殆ど無い。読み終えた本が書棚に重なり、かと言って処分もし切れず、家が本で重くなり狭くなるばかりだから、この10年、本は買わずに必要なら図書館で済ますようにしている。図書館は便利なもので、今日の新聞から今週号の週刊誌、月刊誌、新刊本も置いてある。過去村上春樹の書作も何冊か読んだが、それ等はすべて図書館で取り寄せたものだ。と言っても本屋で新刊を買って、直ぐその場で読み始める、と言った即応性はなく、人気の新刊本だと自分の手元に回ってくるまでに何か月も待たされることもある。この騎士団長がその例で、去年の2月に出版され、間もなく図書館に配置され、自分も直ぐにも借り出しの申し込みをしたのだが、その前に既に何人かの申込者がいて、何人かの読者を経て、自分の手元に回ってきたのに、ほぼ1年待たされた。

図書館の本だから、当然貸出期間は決まっている。最長3週間だ。本が来たのは先月5月16日で、返却期限は昨日の7日まで。以前だったらかなり熱心に、一気呵成とまでは言わないまでも、数日間で読み終えた。だが最近は高齢の為か、読書に対する熱意も薄れ、この「騎士団長殺し」前後2巻本も、夜寝る前の20-30分読む程度で、遅々として捗らなかった。漸く第1巻を読み終えたのは先週で、こんなでは期限内に読み終えない、と下巻のほうはややスピードを速め、読み進めたが、それでも6日までにはまだ残り100頁以上もあった。とうとう期限が来て、昨夜急いで残りの頁を読み終え、1日遅れになったが、今日図書館へ返却することができるようになった。

本作「騎士団長」は彼の前作「多崎つくる」から4年ぶりの長編小説で、熱心な読者層には心待ちしていた新作だが、周囲からは10年ほど前に出版された「1Q84」程の熱狂は感じられなかった。当時は今にもノーベル文学賞を受賞するかのようなフィーバー振りだったが、毎年候補の筆頭に挙げられていながら、いつも他の第三者に横からさらわれ、次第にその熱も冷めて行った。一昨年などは歌手のボブデイランが突如出てきて、世の関係者を驚かせたが、ノーベル選考委員の中には、それ程に村上作品を高く評価する人はいなかったのか、という証でもあった。昨年は又日系イギリス人のイシグロが受賞することにより、その後のアジア系受賞のチャンスは更に遠いものとなった感がある。

さて本作品「騎士団長殺し」であるが、先ず初めにそのタイトルが注目される。先日亡くなった内田康夫などは「○○殺人事件」とか、多くのサスペンス作家が使用する「○○殺人事件簿」のような直接的な「殺人」ではないにしても、「殺し」の意味するところは同様で、サスペンス作家でもない村上が如何なる事情で「殺し」なる題名を付けたのかと、興味をそそられる処ではあった。最後に読み終えて分かるのは成程タイトル通りの内容で「騎士団長」は本の中で殺されている。しかも2回もだ。

最初の「殺し」、即ち殺害はこの小説の中での有名な画家雨田具彦の同名の絵画の中に於いて殺害され、次にこの小説の主人公の私、即ち肖像画家の○○、結局この主人公の名前も姓も最後まで出てこないので○○と表記せざるを得ないのだが、その主人公○○にイデアが具象化した形の騎士団長として殺害された。絵画の中でも小説の中でもこの騎士団長が殺害されなければならない理由がもう一つ明確になっていないが、いずれにしても2回も殺されることによりこの題名「騎士団長殺し」は小説の内容とは矛盾しないものになっている。

ただ絵画の中では殺人者はドンジョバンニ、今紀州ドンファン名で連日テレビを賑わして野崎さんではないは、そのドンファンとはドンジョバンニのことであり、主人公の私こと○○とドンジョバンニドンファンとの一致点、ないし類似点は小説の中では見いだせない。紀州ドンファンの美女4000人切りに見るように、オペラ・ドンジョバンニの中のドンファンは数々の女性遍歴がモチーフとなっているが、この主人公○○はそれ程激しい女性遍歴の跡は見られない。村上作品には珍しく、本作には生々しいセックス描写が何か所か出てくるが、それをもって主人公=ドンファンとはみなし難く、それ以前に村上はセックス描写がうまいとは言えない。或いはセックス描写に慣れていない。彼自身、実際にLoveの経験はそれ程多くはないのだろう。

小説の中では主人公私も雨田も著名な画家であり、絵画の描写は微に入り細に渡り、又彼の得意とするアメリカンポップスも知識をひけらかすかのように随所に出てきて、又いつの間にかクラシックにも教養の羽根を広げたのか、成程と思わせる描写もあって、それなりに面白いもので、更に人形のような高さ60cm程の騎士団長を登場させることにより、現実の世界から遊離、飛躍していると分かってはいても、彼の持ち分であるストーリーテラーとしての面目躍如の内容であり、最後まで面白く読み終えるものだった。ただ上下2巻というのは、まだ猶長すぎるきらいもあり、表現的に二重表現、重複的言いまわし、不必要な描写、等々、もう少し工夫して、コンパクトに1巻に纏められたら、より読者に好都合となり、評価されるものとなるだろう。

さて、ノーベル賞であるが、選考委員会の内部のゴタゴタで本年度は見送りとなった。又委員の半分以上が辞任を表明していると言われる。従って果たして来年度も選考委員会が開かれるかどうかは、未だ未定だ。その委員会内紛問題は別にしても、彼の作品、ないし彼自身はどう思っているのか。言えるのは、本作であれ過去の長編であれ、読み物としては面白いが、内容的にはどうか、思想的にはどうか、が問われるものであり、選考委員の過半の目には、それ等は希薄なものと映ったのであろう。「1Q84」はオーム事件、「多崎つくる」は色の問題、そして本作は東日本大震災を絡めてはいるが、それは取って付けたような内容であり、社会性も思想性も何等帯びてはいない。彼自身もその点は理解しているものと思われる。

既に名声を得て安住を得ている彼にとって、これから更にハードに取り組むには、もうかったるいのかも知れない。まだそれ程の歳ではないのだが・・・。本作のプロローグが印象的だ。彼自身、顔の無い作家とは思っていないだろうが・・・・。
未だ尚、イコンのペンギンは戻ってきていない。


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