ちゃおチャオブログ

日々の連続

サイゴンの3日間(23)秘密のアジトへ。

僧侶の名前も時の大統領も誰かは忘れてしまったが、焼身自殺は日本でも大きく報じられた。

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Lucyさんにその話をしたら、やや尊敬したまなざしで見つめられた。

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彼女が最初にこの場所を案内したのは、ベトナム人としてのそうした思いがあったのかも知れない。

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ベトナム戦争当時の南の政情は不安定だった。米軍指導下で、それに結び付く一部特権階級の腐敗も酷かった。この状態が続けば戦争に負けなくても、いずれ内部崩壊していたかも知れない。そうした腐敗政権に対し、軍部によるクーデターが年中行事のように起きていて、陸軍将軍による支配が続いた。この国では軍隊は陸軍しかなく、空軍、海軍にしても形だけのものに過ぎなかった。空海は全面的に米軍に委ねていたのだ。

 

この僧侶が焼身自殺した時の大統領は誰だったかは具体的には知らない。しょっちゅう政権交代があたから、誰であっても同じことだろう。チョビひげの将軍、グエン・カオキだったかも知れないし、グエン・バンチュー、或いはそれ以外の傀儡大統領だったかも知れない。ベトナム報道は毎日のように日本の新聞で報じられ、この僧侶の抗議自殺も大きく報じられた。時の政権に対する抗議であり、新聞ニュースでも詳しく報道されていたが、その背景は何だったかは、もう今では忘れてしまった。しかし、生身の人間が自らガソリンを被り、生きたまま死んでいくその強烈な精神性、心の強さには驚嘆した。僧侶とは言え、ベトナムにはすごい人がいるものだと。その後、同じような焼身自殺が何人か続いた。

 

インドのガンジー、無抵抗のハンガーストライキ。日本でも抗議の為のハンガーストライキ、絶食、等もあるが、その行きつく先として、餓死死の話は聞いていない。自身の命を賭してまでの抗議は聞いていない。しかしベトナム人は僧侶以外の一般人も抗議の焼身が散発した。すごい国民性、精神性だと思った。Lucyさんの最初のスポットとしてこの場所を案内した理由は分からないし、自分からも聞いていない。しかし、この僧侶の話を自分からしたら、日本人がよくそんな事件を知っていたのかと、少し尊敬するまなざしで見返された。自分も少しだけ、満足感を覚えた。

 

次に向かったのは、ここからほど近い場所にある秘密のアジトだ。そこは市場通りの狭い路地の中ほどにある一軒家で、外から見る限り、普通の住宅に見えた。しかしそこはゲリラの隠れ家で、官憲に追われた時の逃げ場だった。路地に面してガレージがあり、自家用車が止まっているが、その車の下に地下室に通じる通路があり、隠れ場所となっている。ここがバレた場合、奥の通路から更に別棟の2階へ通じるようになっていて、案外幼稚な造りだが、当時の彼らは一生懸命だったのだろう。

 

次に案内されたのは、市場通りにある普通の民家だった。

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ここはゲリラの隠れ場で、地下がアジトになっていた。

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地下の隠れ場で、ゲリラのヘルメットを被って1枚。

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