杉本寺本堂までかなり長い石段が続く。
石段の中ほどに山門がある。
案内役の先達さんが、お寺や山門の説明。
古都鎌倉は源頼朝が幕府を置いた地で、鎌倉幕府が続いた約150年の間に、武家文化が花開き、禅宗を尊んだ武士によって、京都五山にならっての鎌倉五山が建立され、今でも多くの観光客を全国から集め、小中学生の修学旅行先の一つにもなっている。
五山は臨済宗の大寺で、幕府開府の当時、中国では南宋が北の蒙古、後の元に圧迫され、国家滅亡の危機に瀕していたが、その南宋から巧妙な僧侶を招き、五山の幾つかは、それ等南宋の高僧により創建されている。南宋が傾く以前、日宋貿易はかなり活発で、宋からの貿易船も数多く鎌倉沖までやってきていた。
そうした鎌倉文化を代表する五山のような大寺と違って、ここ杉本寺は山寺と呼ばれても良さそうな小山の上に建っていて、長い石段を登って行かなければならない。この寺の歴史は古く、天平時代の創建で、井上靖の天平の甍にある奈良唐招提寺と同じころの創建である。鎌倉では一番古いお寺であり、この地では当時からそれなりの経済力があったものと思われる。
この寺の縁起によれば、聖武天皇の后、光明皇后の祈願により行基菩薩により建立されたもので、ご本尊は菩薩御作の十一面観音菩薩像で、更に又後に慈大師、恵心僧都御作の十一面観音の合計三体の観音菩薩像がご本尊となっている。大変有り難いお寺で、ここは又坂東三十三観音霊場の第一番の札所になっている。山門から真っすぐ本堂に延びる苔むした石段がこの寺の歴史の古さを表していた。
山門から本堂までは苔むした石段が続くが、ここは今は危険なので、使用禁止になっている。
杉本寺本堂。
先刻の苔むした石段を上の本堂の境内から眺める。