ちゃおチャオブログ

日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(12)伊予宇和島城。

どんな風に朝の体操をしているのかと、本丸に急ぐ。

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着いた時は丁度体操が終わって、皆さん帰る処だった。

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まだ居残っている人もいる。正面が天守閣だ。

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宇和島城藤堂高虎の名作品だ。

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本丸広場から眼下の港を眺める。以前は無かったバイパスが街を横断している。

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参道の上の天守閣の方向から朝のラヂオ体操の音楽が流れてくる。急いで本丸広場に駆け上がったが、広場に着いた時は丁度体操も終り、皆三々五々下城するところだった。総勢20数名か、皆顔見知りで、それぞれ挨拶を交わし、連れ立って降りていく。皆高齢者で、60歳以上、或いは自分と同じ70代か。皆さん元気だ。100mの山を登り、天守閣の前で体操をし、それを毎日繰り返す。肉体的にも精神的にも至って健康的だ。

 

20数年ぶりに本丸広場に立つ。以前来た時よりも広場は広がっているようだし、お城も以前よりは大きく見える。今分かったが、以前来た時は、今日登った登城道ではなく、別の大手門口から登ったのだ。今日の登城道は裏門口だったのだ。20年前の記録が蘇る。天守閣前広場は今よりも10分の一程の広さで、小ぶりの天守閣が小さな広場を圧するようにちょこんと立っていた。今まで大阪城とか姫路城、松本城など見てきていたので、それ等との比較で余りにも小さいので、可愛くすら思った。

 

その時はお城の前は自分一人で、広場から眼下の海を眺めていたら、突然がやがや賑やかな掛け声がしてきて、下から30人程の宇和島東のユニフォームを着た高校野球部員が駆け足で登って来たのだ。真っ白のユニフォームの胸に真っ黒の宇和島東の文字。ああ、彼らが聞きしに勝る宇和東の野球部員なのだ。自分は沼津東だが、高校の直ぐ近くに旧沼津城址貫山がある。そこはこの宇和島城と同じ程度の高さだが、沼津東の野球部員が香貫山を登るということはついぞ聞いたことはなかった。1回戦ボーイと8強レベルの違いはこんな所にあるのかと。

 

同じように眼下の海を眺める。20年前も今も静かな海で、当時宇和海から帰ってきた焼玉エンジンの漁船のポンポン玉が弾けるようなエンジン音がこの山頂まで響いてきて、伊豆出身の自分には郷愁を覚えた。その時、宇和海と漁船とエンジン音とお城を合わせた俳句を作ったが、今は忘れてしまった。帰京後同僚に見せた処、褒められもした。今は海は当時と比べ小さくなっている。埋め立てが出来て、建物が増え、更には港を横断するバイパスまでできている。時代の変化。街は近代化したが人口流失で錆びれ、埋め立てによって古い港は消えてしまい、焼玉エンジンの漁船の代わりに高速のフェリーが往来する。お城の主はこの街の400年の変化をどうのように見ているか・・。

 

四万十、石鎚に続く山々。

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JR宇和島駅方面の街並み。

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朝の散歩の人にお願いし、記念写真を撮ってもらう。

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自分の過去のイメージと違い、お城は随分大きく、綺麗になっている。

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この城のイメージを変えなくては・・。

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