浦内川から少し走り、目的地の白浜港に着いた。大きな港湾だ。
今桟橋では、港湾工事が進められている。この港にいる人影は、この工事関係者だけだ。
この先の島,内離島、外離島へ渡る住民の為だ。1日4往復。一体何人の人が住んでいるのだろうか・・。
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ああ、海に虹が掛かっている。
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浦内川のマングローブは車から降りることも無く、橋の上に一時停車した車内から眺め、写真を撮っただけで、先の白浜に向かった。彼女のこれからの予定もあるだろうし、好意で載せてもらっている以上、余分な迷惑は掛けられない。浦内川からはほんの5-6分で終着の白浜港に着いた。この白浜港のある場所は祖納と呼ばれる集落で、江戸時代、ここが西表島の中心集落になっていた。県道もここが終点で、この先の島を周回する道路は作られていない。江戸時代の初め頃には、この先に古見という集落があって、そこが島の中心だったが、明和の大津波で大きな被害を受け、島の行政、中心機能はここ祖納に移ってきたとのことである。
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白浜港はいつ頃できたのか、それ程古くはない。広々した岸壁と波止場を備えているが、人と言えば、その港湾工事をしている作業員だけだ。以前はもっと人口も多かっただろうが、今は島の中心は更に、大原、上原のフェリー港の方に移ってしまい、バスを降りて集落を眺めた処、民家は50戸あるかないか、人口も200人はいそうにない。見たところ、住宅はどこも小奇麗で、何で生計を立てているのか分からないが、ここに住んでいる人は江戸時代、少なくとも、戦前から代々住み続けている人だろう。住めば都。もっと町に近い場所、石垣や本島の都会地に住めば生活は楽になるかも知れないが、ここを立ち去れない色々な愛着があるのだろう。この島は明治以降、つい最近の戦後まで、各孤立集落の廃村が続き、先の古見などもそうだが、江戸時代、この島自体が古見島と呼ばれていたり、島で一番高い山が古見岳と呼ばれたり、この島にとっては由緒ある名前ではあるが、その中心集落が廃村になって数百年、古見という地名も名前も人々の記憶の中ら消えて行ってしまった。
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4WDを降りると、港湾の先に大きな虹が掛かっている。RainbowBridge。海に掛かる虹の橋。海上でこれ程大きな虹を見ることはなかった。東山さんも車から降りて、岸壁の端まで歩き、一緒に虹を見に行った。幸運の虹。虹の架け橋。最果ての島に来て、最南端の集落へ来て、綺麗な虹が歓迎してくれた。この先残り少ない人生。幸運に迎えられるようだった。
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大きくて綺麗な虹だ。
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虹をバックに写真を撮ってもらう。
幸運の虹になると良い。
ドライバーの東山さん。ここまでどうもありがとう。
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