ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(21)JR北海道、函館本線に乗車。

函館駅ターミナル駅。ここが終着駅で、始発駅となっている。

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ほんの1割にも満たない客を乗せて、電車は定刻に発車した。

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最初の停車駅は昨日バスでやってきた五稜郭だ。遠くにタワーも少し見えた。

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函館の隣町、北斗市に入った。桔梗駅と出ている。綺麗な名前だ。

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北海道へは過去何回か来ているが、電車、列車に乗る機会は少ない。過去に乗車した事と言ったら、新千歳空港から札幌までの快速、或いはその先の直通快速の小樽行、程度で地方の路線の経験はない。今回初めて地方のローカル線に乗った。改札でのスイカパスモが利用できない点を除いたら、他のJR各線との差はそれ程なく、田舎っぽさも感じられない。特に今から6年前に、北海道新幹線が青森から青函トンネルを潜って、北海道最初の駅、新函館・北斗駅まで延伸され、この北斗駅を基点に近代化が図られている様だ。新幹線乗り換えが便利なようにと、函館駅と北斗駅間には新幹線発着に合わせてシャトル快速が運行されていて、それは東京近郊の私鉄の快速電車と変らない。新幹線という近代化の波は、旧来型の感覚、観念を変えて行く。

 

自分は今日は北斗の先の大沼公園まで行くので、そのシャトル快速には乗らずに、従来の電車に乗ったのだが、昔の高倉健の映画で見るような重厚な列車ではなく、軽快なアルミ車両だ。各地でJRに分割されてはいるが、こうした車両とか、システムは上の方で共通化されているのだろう。函館駅のホームはターミナル駅らしく、電車はここが始発、終着駅となっている。従って、線路はここまでだ。いや、ここからスタートすると言った方が正確だろう。青函連絡船が華やかなし頃は、埠頭から延びてきた線路が駅構内に入り、駅はいわば通過駅だったのだが、今は、どんずまりとなっている。以前宇和島で見たようなターミナル駅になっている。

 

ホームのトラックは5本程あるが、そのどこも人影はなく、人の動きは見られない。コロナとは関係なしに、もう既に電車の利用者は激減しているのだろう。新幹線でどれ程盛り返せるか不明だが、ここでは鉄道は明らかに斜陽産業になっている。昔の北炭と言ったら、炭鉱以外にも鉄道を持っていて、石炭輸送を担っていたが、後、その鉄道路線国鉄に譲渡し、北炭鉄道から北炭汽船に名前変えしたが、それはもう100年以上も前の話になる。斜陽がいつ頃から始まったのか自分は知らないが、殊、国鉄が5社に分割され、民営化がスタートして以降、その凋落は激しさを増したに違いない。

 

疎らな乗客、ほぼ1割程度の客を乗せて、電車は定刻にスタートした。時間厳守の点は、客が少なかろうが、ゼロ人であろうが、日本の旧国鉄が守り続けてきたプラウドであり、どんな状況になっても欠かしてはならないDNAだ。これが失われたら、日本の鉄道ではないことになる。発車して数分、最初の駅は同じ市内にある五稜郭だ。列車の窓の遠くに五稜郭タワーもほんの少しだけ見える。

 

続いて止まった駅が「ななえ」。ああ、懐かしい、というか、悲しい思い出の地名だ。今から半世紀以上も前、この海峡で洞爺丸事故が発生し、1000人以上の乗客の命が失われた。台風接近のさ中、洞爺丸は函館を出航し、青森に向かったが、出航間も無く暴風雨の中で沈没し、沢山の水死体がこの七重浜に流れ着いた。当時自分はまだ小学校高学年で、この事故のことはニュース等で知る程度だったが、後年、事故の解説本を読むことにより、この浜に多くの遺体が打ち上げられたことを知った。見妙な暗喩、遺体が七重八重に重なって漂着した情景を想像し、この浜の地名は強く印象付けられたのだった。

 

ああ、「ななえ」駅。

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「ななえ」。この名前を聞くと、洞爺丸事故で遭難し、溺死体で打ち上げられた七重浜を思い出す。

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ああ、もう北斗駅だ。函館からは20分も掛からない。

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北海道新幹線の開業に合わせ建設された新駅だ。

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