ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(32)大沼公園駅舎にて。

大沼公園駅。次発は12時17分。無人駅になっている。

 

綺麗に整備された気持ちの良い駅だ。

 

  • 改めて出発時刻を確かめる。函館―札幌間は特急も走っているが、この駅ににも停車するのか?

駅員とはリモートで会話ができる。

 

 

大沼公園駅はこじんまりとした瀟洒な木造の駅舎だ。元々は駅長はじめ何人かの駅人が勤務していたと思うが、今は無人だ。今がコロナ禍で乗降客が極端に減って無人になっているのか、コロナとは関係なく、全般的な経営合理化の一環で、コロナ以前から無人になっているのかは、自分には分からない。ただ自分でも分かることは、北海道の鉄道は赤字続きで、斜陽産業だ。北海道の広大な面積に鉄道網を施設し、維持していくのは、大変な事である。特に雪の多い冬場の保線管理は大きな負担になるだろう。それでも道内に主要な産業も無く、JR北海道は道内の優秀な若手の魅力的な就職先になっているに違いない。この大沼公園駅無人とは言え、塵一つなく、綺麗に整えられ、侘しさは感じられない。駅前広場の花壇と言い、この駅舎と言い、志ある社員の精勤の日々が想像された。

今はどこへ行っても自動車中心で、特に広大な北海道では車が無いと日常生活もままならないと思うのだが、そんな車中心の中でさえも、最低限の鉄道は必要だ。1日1本でも2本でもよい、車が運転できない人にとっては無くてはならない移動手段だ。道内のあちこちで廃線になっているが、数少ない利用者とは言え、昨日まで利用できた電車に今日から乗れなくなるのは大きな不都合だ。特に通学高校生にとっては深刻な問題である。JR民営化後の数十年、経営側と利用者との間で、折り合いをつける為の長い折衝が続けられてきたのに違いない。この先の人口減の日本、特に過疎化の激しい北海道、鉄道は過去の遺物になって行くのだろうか・・。

この待合室を兼ねた無人駅を見ていると、何年か前に訪問した帯広郊外の幸福駅を思い出す。本当に2坪程度の小さな木造駅で、室内の壁面にはそこを訪れた観光客の名刺が隙間の無い程にペタペタ貼り付けられていて、凄まじいものだった。散歩の途中に飼い犬があちこちおしっこしてマーキングするように、観光客のマーキングに溢れていた。ここまでやってきた人は今に生き、実存しこの廃駅を見た。いたずら書きが許される遺跡があれば、丁度幸福駅の名刺のように、そこら中にいたずら書きで溢れるに違いない。今生きている事のアリバイ。

幸福駅は既に遺物、遺跡になっているが、ここ大沼公園駅はまだ現役だ。今の処駅舎は綺麗に整えられ、待合椅子もあり、時刻表も掲示されている。しかしこの先どうなるかは分からない。この函館本線廃線になり、線路が撤去され、この駅だけが大沼に面してポツンと一軒だけ残されるようになったら、きっと規模の大きな幸福駅のようになるかも知れない。駅の時計を見ると電車の時刻が近づいてきた。どこからかリモートでやっているのか、発車電車のアナウンスも聞こえてきた、そろそろホームに出て、電車を待つことにしよう。

 

大沼公園駅から先、森町を通り、長万部、室蘭、登別、苫小牧を通って、札幌まで行っている。

 

電車がやってきた。東京で走っている電車と変らない。

 

朝来た時も数人乗っていたが、帰りの電車も何人かは乗車している。