ちゃおチャオブログ

日々の連続

4.28(木・晴れ)東証反発。野川植物園、春の草花。不運で不幸な出来事。

 

 

4月末日の取引、黒田発言で円が急落、130円台に乗せる。末日のドレッシング買いがあったかどうかは知れないが、今日は大きく上げて461円高の26,867円で終了。27,000円台回復まではもう一息だ。日興イージー、持ち高は回復しつつあるが、まだ去年の9月末残高に達していない。この半年間で、約70万の入金を行っているが、評価減が大きく響き、浮上しない。しかし、いずれ市場が好転すれば、評価損も解消されてくるだろう。又、そう願いたい。

 

午後から快晴。春らしい陽気だ。久し振りに植物園に行く。先月までは木道の整備で、行かなかったが、春先に二輪草福寿草を見て以来だから2か月振り位か。春の草花が沢山咲いている。金糸蘭、エビネ、九リンソウ、踊子草、等々。相変わらず、名前の知らない草花も多い。そう言えばホタルカズラも咲いていた。桜が終わり、躑躅の季節になり、草花の季節になった。気持ちよい日本の春だ。

 

昨日知床観光船の社長会見があった。よもやこんな大惨事になるとは、予想だにしていなかった彼に取っての椿事だった。彼でなくとも、このような大惨事が起こるとは、事前に想像は出来なかったに違いない。出航直前の天候は晴れて風もなく、当然海も波はなった。天気予報では午後から荒れるとの予想であったが、早く行って、早く帰ってくれば問題ないだろう、と考えるのが普通だ。事故の一報を聞くまでは、そんな感じだっただろう。乗船した24人の観光客も同じように思ったに違いない。だが、それは悪魔の誘惑だった。社長も船長も多分、素人に近い人だったのだろう。色々な面で不運が重なった。

 

洞爺丸遭難事件は今から半世紀以上前の出来事だが、この時、台風が津軽海峡に接近していたが、洞爺丸が函館出航時点で、風波収まり、何故か空が晴れ、天気も良くなり、波もうねり程度だった。台風は去って行ったかと思われた。逡巡した挙句、この天気なら、と連絡船は函館を出たのだが、実はこの好天気は台風の目の中に入っていたことで、当時の気象観測では分からなかった。出航した直後に再び台風の嵐に襲われ、洞爺丸は沈没し、1000人以上の乗客船員が死亡した。遭難に際しては、積んでいた列車の鎖が切れたりとか、幾つかの不運が重なって、大惨事となったのだ。

 

今回の知床遭難事故も幾つかの不運が重なり、不幸な結果になった。最大の不運はこの船長が現場海域に不慣れで、操船に習熟しておらず、船体を傷つけ、そこから海水が浸水し、沈没に至った。次の不運は、この会社の遊覧規定であり、波が高い場合、途中で引き返すのだが、その就航時間によって、乗船料の返金割合いが定められていたことだった。当時、午後から海上が荒れるとの予報が出ていたので、無理せずに午前中に戻って来れば、このような大惨事にはならなかったのだが、そうすると、客に対し、より多くの返金をしなければならない。社長は普段から計算高かった。午後の荒天を恐れて、荒れる前から引き揚げることは、船長に取って、出来ないことだった。首を覚悟しなければならない。そこで目的の場所まで行き、帰りに波が高くなり、船体に穴を開けた。従って、今回の主たる原因は船長の海域操船の不慣れと、厳しい会社規定にあったと言える。

 

いずれにしても3つの複合的な不運が重なって、事故が起きたのだが、もしも、最初から天候が悪ければ、そもそも出航はしなかった。運命のいたずらというか、悪魔に魅入られた結果の災難だった。乗船した24名は全くの被害者であるが、運命論からすると、如何なる事情でこの24名が全国から集まって来たのか・・。まだ詳細は不明だが佐賀県からの3名、東京の3人家族、道内北見の二人、千葉と福島の一人、等々、それぞれがどういう経緯でこの遊覧ツアーに参加したのか興味がある。この会社はネット等でPRしていたんか? 今日が初日だと、何等か広告を出していたのか? それとも、24人が偶々斜里にやってきて、こうした遊覧船があることを知ったのか? 昨日の会見ではその点が明らかにならなかったが、いずれにしても運命の出会いだ。運命共同体。いずれにしても朝の天気が良好だったので、24人の誰も危険を感じて参加を見合わせることはなかっただろう。そうした不運が数時間後に自分達に襲ってくるとは、出航時点では誰も思わなかった。これも又悪魔の配剤か・・。ただ佐賀の一人が携帯電話で、水没する直前、家族の誰かに今までの人生を感謝していた、と伝えられたが、それは救いだ。JAL御巣鷹山墜落事故の直前、何人かの乗客が必死の思いで、感謝のメモを残していたと聞いているが、その時の状況とダブって映る。突然の、不慮の事故死の直前の中での感謝、誰かは知らないが、見習いたい。

 

山梨道志川での不明死体、母親は未だ尚、美咲ちゃんではないと言っているが、母親の気持ちとしてはそうかも知れないが、状況からして美咲ちゃんに間違いないだろう。認めたくない気持ちはあるとしても、一刻も早く、弔ってやるべきだ。捜索の方法、方向が間違っていて、迷子の子供の命を助けられなかったと。警察も警察権が役に立たなかったとすれば、収音機、小さなか子供の遠くの叫び声も拾えるような音の機会を開発すべきだ。これも又、捜索方法を間違えた、不幸で不運な出来事だった。