この通りを真っすぐ行った先が寺町通りだ。
ここもまだ三条通りなのか・・、道路の両側には、時々古い建物が残っている。
古い商家だ。江戸時代以前から続いているのかも知れない。
お洒落な家もある。
日本の古い町並みで米軍の空爆に遭わなかったのは数少ない。殆どの主要都市は絨毯爆撃か、機銃掃射の被害を受けている。今のウクライナと同じような惨状だ。だが、幸いな事に京都とか金沢、仙台などは爆撃を受けず、戦前の古い町並みが残されている。米軍に日本の古い街並みを保存して置こうとの意図があったかどうか、自分には分からないが、これ等の都市は軍事的に重要性を持っていないと判断されたのだろう。
室町時代、応仁の乱までの京都は、幾たびかの戦乱に巻き込まれ、京全体が灰燼に近い状態になったこともあったと聞いているが、その京の都を戦場の惨禍から救った最初の人物は信長ではないかと思う。当時京都を支配していた松永弾正、三好勢等を戦わずして京都から追い出し、時の天皇を安堵した。その頃から京の町に平和が訪れ、江戸時代を通じて、ちょっとした騒動はあったとしても、戦乱に巻き込まれることも無く、平和が保たれた。
昨日清水寺から八坂神社まで東山通りを歩き、古い町家の通りを見たりしたが、戦災を受けなかった京都には、あちこちにこうした江戸時代以来の古い家並、通りを見ることができる。町を歩いていて、そうした古い建物や小路、町に溶け込んだ小さな寺社仏閣に偶然に出会うことがあるが、それが又京都街歩きの魅力の一つにもなっている。建物や通りがただ古いだけではなく、その古さが手入れされ、上品に保存されているのだ。1000年の長きに渡って都に生き、生活する人々の知恵と誇りがあるのだろう。
寺町通りアーケードまでの数百mの通りは、まだ先刻の三条通りの延長線上にあるのかどうか自分には判断できないが、いずれこの辺りは室町以来の古都の中心地区。時々見える大きな瓦屋根の二階家造りなど、昔からこの場所で大店を張っていたのだろう。足を止めて建物を眺め、写真を撮るのに丁度良い骨休めになる。もっと京の町の歴史、建物所有者の屋号や生業等を知っていれば、より興味深く眺められたに違いない。そうして歩いたり、休んだりして進んで行ったら、寺町のアーケードにぶつかった。
この家も昔から続いている様だ。
由緒ありそうな商店の看板が掛かっているが、何の商売だろう・・。
そうこうする内、寺町通商店街にやって来た。
コロナなのか、昼間だからなのか、このアーケード街にも人通りは少ない。