ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.19(水・晴れ)3年ぶりの党首討論。24年ぶりの鬼プー訪朝。

 

午後3時から衆院行革委で3年ぶりの党首討論が行われた。今まで逃げ回っていたが、岸田内閣になってからの初の討論。前回3年前には立民、野田党首と安倍総理との間に因縁の討論が行われたが、その時以来だ。当時は桜問題、もり掛け問題、広島河井問題等、問題、疑惑山積だったが、安倍を追い詰めることは出来なかった。短い時間での討論で、はぐらかされた感もあった。

 

今日の討論、3年前以上に大きな問題が山積、自民党の裏金問題が顕在しているが、野党各党首は追い詰めることは出来なかった。解散総選挙も総理辞任も引き出すことはできなかった。総理もボンクラなら、追い詰める野党の方もボンクラなのだろう。トップバッターの泉など、24分間と言う短い時間の中で、裏金問題は二の次にし、夫婦別姓から入り込んだので、岸田とすれば思ってもない壺、国民の間にも意見の相違がある点を滔々と喋り、貴重な時間の三分の一を費やす。総理に取っては願ったり、叶ったりだ。

 

二番手の維新馬場はかなり厳しい質問をしたが、期待していた共産田村は、泉と同じ夫婦別姓問題で、僅かな時間10分間を費消してしまった。

支持率20%を切る瀕死体の岸田内閣、野党が連携して攻めれば、内閣打倒も可能だったが、そうした連携も無く、各党バラバラの中での短時間での討論、瀕死の岸田の延命に手を貸した結果に終わった。

 

24年ぶりの鬼プー訪朝。何の手違いがあったのか、前日夕方に到着予定が遅れに遅れ、真夜中の2時に平城到着。遅刻常習犯の鬼プー、今回は焦らし作戦ではなく、国内で何等かの不都合が生じた結果なのだろう。

大事な同盟国で、盛大な歓迎式典が行われると思いきや、平城には1泊もしないで、日中に同盟条約を締結し、今日の夕方には次のベトナムへ飛んで行った。ベトナムは日本の友好国、鬼プーからの強い要請があって訪問を受け入れたのだろうが、今後は日本は後々のテイクケアをしてやらなければならない。

 

24年ぶりと言えば、2000年の沖縄サミット。当時のロシアはG8国として当時の森総理から招待を受け、意気揚々と沖縄にやって来たのだが、各国首脳からはブーブーの非難轟々。会議参加に8時間も遅れ、結局待ち切れずに会議をスタートしたのだが、この時の森の鬼プーに対する取りなしが後々のプーを増長っせる結果になったと言われる。この時は北京に寄って、平城経由でやって来たのだが、どこでどんな間違いがあって重要会議を8時間も遅れるとの釈明は一切なかった。

 

この時、ドイツのシュレイダーも参加していたが、彼は後にロシアの巨大資源会社、ガスプロムかどこかの役員に収まっている。2年前に宮古島を旅行したが、そこのドイツ観光園の正面入り口にはこのシュレイダーの大きな石板パネルが掛かっていたが、彼はこの沖縄津梁館からの帰り、宮古島へ立ち寄ったのだ。ロシアの代理人シュレイダーと影の代理人森の二人が他の参加国をなだめ透かし、鬼プーをメンバーから追放させないで済ませたのだ。

 

それから4年後、今度は安倍の番。26回も個別面談を繰り返したが、彼のレガシーとすべき北方4島は1ミリの返還もならず、その後、反対に鬼プーは領土割譲禁止の法律を作って、4島はほぼ永遠に取り戻すことはでできなくなったが、こうした鬼プーの増長に輪を掛けたのが安倍だ。

安倍はこの時、地元長門の旅館に鬼プーを迎え、是が非でもレガシー獲得に躍起となったが、この時の鬼プーは何と12時間も遅れてやって来て、総理は地元長門で阿呆面をして待っていた。一言の苦言も呈しなかったが、頭に乗った鬼プーは歯舞、色丹の北海道納沙布岬の目の前の小島すら返還せず、のみならずその直後にクリミヤ半島を併合し、結果、G8から放逐された。この期に及んでも安部は尚鬼プーを擁護する態度、発言を繰り返し、その後も個別面談を繰り返していた。

 

2年前、鬼プーがウクライナ戦争をおっぱじめ、その結果、日本はロシアに於ける原油権益2000億円以上をロシアに横領された。これは森と安倍が始めた親鬼プー外交の結果だが、その陰に影の代理人、ムネオの影もちらついている。24年経っても今なお権力の座に留まっているのは鬼プーとシンキロウ。この二人は国民の前から排除しなければならない。