アジア文明博物館を出た前は、マリナ―ベイに面する高層ビル街になっている。
植民地時代の建物を改装し、パビリオンにしている。
地下のフードコーナーには日本のラーメン店も出ているが・・。
シンガポールだからという訳ではないが、昼飯はイタリアンにしておこう。
1階から4階まで様々なアジア文明に係わる貴重な展示物に溢れた「アジア文明博物館」を出ると、まだ日は高い。さて、これからどこへ行こうかと思案したが、この町にあるインド人街へ行くことにした。嘗てのインドシナ半島は、中国とインドのせめぎ合いの場であったが、前世紀の植民地時代が始まる大分以前から、中国の勢力が増し、印度は放逐されるような形になっていた。
しかしここシンガポールに関しては、同じ英国植民地という共通点があったかも知れないが、印度の橋頭保はまだ残されていて、いや、逆に植民地間という半ば自由な移動が制限されていない為か、むしろ勢力を増したのかも知れないが、立派なインド人街が存在している。同じインドシナ半島でも、フランス植民地であった国々には見られないことである。
今出てきたばかりの「アジア文明博物館」にしても、日本のコーナーはごく僅か、文化文明として存在していたとも思えない程の貧弱な扱いだが、この両国に関しては、多くのスペースが取られていて、展示物も豊富に陳列されていた。東からやってきた中国文明と、西のアンダマン海、マラッカ海峡を渡ってやってきた印度文明がこの岬の街で融合し、開花しているのが、今のシンガポールかも知れない。
一旦地下鉄セントラル駅まで戻り、その地下のフードコーナーで昼飯を食べ、リトルインデア駅に向かう。インドシナ各国の首都の中で、印度人だけが集まってコミュニテ―を作っているのはこの町しかないだろう。そうした期待通り、駅のホームを駆け上がり、地上に出た風景は正にリトルインデアの様相であった。
しかしここシンガポールに関しては、同じ英国植民地という共通点があったかも知れないが、印度の橋頭保はまだ残されていて、いや、逆に植民地間という半ば自由な移動が制限されていない為か、むしろ勢力を増したのかも知れないが、立派なインド人街が存在している。同じインドシナ半島でも、フランス植民地であった国々には見られないことである。
今出てきたばかりの「アジア文明博物館」にしても、日本のコーナーはごく僅か、文化文明として存在していたとも思えない程の貧弱な扱いだが、この両国に関しては、多くのスペースが取られていて、展示物も豊富に陳列されていた。東からやってきた中国文明と、西のアンダマン海、マラッカ海峡を渡ってやってきた印度文明がこの岬の街で融合し、開花しているのが、今のシンガポールかも知れない。
一旦地下鉄セントラル駅まで戻り、その地下のフードコーナーで昼飯を食べ、リトルインデア駅に向かう。インドシナ各国の首都の中で、印度人だけが集まってコミュニテ―を作っているのはこの町しかないだろう。そうした期待通り、駅のホームを駆け上がり、地上に出た風景は正にリトルインデアの様相であった。
地下鉄駅から地上へ出ると、そこはもうインド人の街。
印度人の店にインド人の買い物客。
どこからともなくインド風の匂い、マサラの匂いが漂ってくる。
カラフルな彩色で中国には見られない色彩。
どこを見てもインド人だらけ。