ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(140)両江の沃野。

南京から上海までの約250キロ、殆ど平らな起伏の無い平原をバスは走って行く。
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豊かな地方だから、町がひっきりなしに通り過ぎて行く。
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住宅も日本と変わらず、見栄えが良い。
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通り過ぎて行く車両運搬車。
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ああ、工場の煙突が見える。
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遠方にちょっとした町が見える。
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広々とした江蘇省の平原だ。
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出発して1時間半、途中のドライブインで休憩。
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停まっている車も新車が多い。
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ちょっと小腹がすいたので、ドライブインで摘みを買う。
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日清戦争終結の調印が下関の春帆楼で中国側全権の李鴻章と日本代表の伊藤博文との間で結ばれたのは、日本国民であれば大体皆が知っていることだ。その時の中国側代表、李鴻章は当時両江総督の地位にあり、これは清国皇帝に並ぶほどの絶大な権力と経済力を持っていた。国の中に別の国があるようなものである。清国本体が列強各国に蝕まれた状況であれば、こうした国と地方との逆転現象が起きるのはやむを得ない事情だったかも知れない。

両江とは杭州紹興等を含む浙江省と、南京、蘇州等の江蘇省の二つの州を併せたことを言うが、この二つの州は古来より中国では最も豊かな土地であり、運河による灌漑が発達し、地味は肥え、米作等盛んで従って人口も多く、絹織物、養蚕業等の産業も盛んで、経済的に富んでいた。1州でも大変な経済力であるが、その二つの州を統べる、ということは、即ち、神国皇帝よりも力があると言うことだった。尤も、当時の清国は西太皇の浪費により、殆どすっからぴんの状態だったから、比較すること自体、意味をなさないかも知れないが。

今、高速バスはその江蘇省の沃野を疾駆する。殆ど直線道路で、スピードも時速100キロは遥かに超えているだろう。豊かな土地だから、目の前に広がる大地は緑濃い。稲作なのか何なのか、青々とした農地が果てしなく広がる。山西省の黄土地方とは全く違った光景だ。人口も多いから、町もひっきりなしに現れては、後ろに過ぎ去っていく。地方都市でも、高速道路の間近まで高層ビルが立ち並んでいる。こんなに広い土地があるのに、高層ビルが必要かと思えるほどに、競争しているように経っている。

昨夜は充分寝たせいか、3時間半のバスの中で、眠気には襲われない。むしろ窓の外の光景に気をとられ、居眠りも出来ない位だ。15年前、友人の吉さんと上海からツアーバスに乗って南京まで来たが、その時は蘇州までは高速道路が完成していたが、その先はまだ工事中で、砂利を踏み固めたような道路を走っていた。今は片側3車線、日本の高速と変わらない。途中1カ所、サービスエリアに立ち寄り休憩し、更に1カ所トイレストップがあったが、殆ど窓の外の光景に気を取られ、漸く上海の郊外に差し掛かって、あっと言う間の3時間が過ぎていたことを知ったのだった。
 
 
 
更に町が続く。凄い数のアパート群だ。
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ああ、新幹線が隣を走っている。
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ああ、新幹線だ!
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いやー、ここはどこの街だろう・・。凄いビル群だ。
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超高層マンションのオンパレード。
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ああ、こんな看板も出ている。テラノザウルス、恐竜園。
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ああ、ここは水郷「烏鎮」だ。上海からもツアーが出ている。
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烏鎮に来たら、運河良く見えるようになる。
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流石に水郷の名に恥じない。
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時々はパトカーも通り過ぎて行く。「中国公路」。ハイウエイパトロールだ。
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段々町が賑やかになってきた。上海も近いか・・
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