ちゃおチャオブログ

日々の連続

上海ー新加坡ー吉隆坡ー曼谷4都旅行記(84)アンチャンの花(ดอกอัญชัน)。

ルンピ二公園の池の周りを歩く。
 
 
 
公園の一角でご婦人が草花を摘んでいる。
 
 
 
聞くとこれがアンチャンの花(ดอกอัญชัน)とのこと。
 
 
 
「ดอกอัญชัน」(ドークアンチャン)。
 
 
 
これは別のハーブティー、จามจุรี (ジャームジュリー)、ミモザのようだ。
 
 
 
 
 
ルンピ二は広い公園で、端から端までゆっくり歩いたら半日は掛かるかも知れない。中央池の周りを巡るように歩いていると、前方で花を摘んでいるご婦人がいる。何だろう、と聞いてみると、これが「ดอกอัญชัน」(ドークアンチャン)、「アンチャンの花」とのこと。先刻お茶会で頂いた、ハーブティーの元になる花だ。これを乾燥させ、煎じるかしてお茶に仕立てるようだ。

花は本当に真っ青、水色をした花びらで、同じ原色でも、火炎樹やブーゲンビリヤのような南国的な原色ではなく、タイには珍しい、おしとやかな感じの原色だ。多分ここで初めてアンチャンの花を見、ハーブティーを飲んだが、偶然が重なるとはよく言うもので、この旅行の半年後、ビエンチャンへ行った時に、再びアンチャンのお茶を飲む機会に恵まれ、希なるものだった。

ラオス北部紀行(18)南国の花園と南国のお茶「アンチャン」。
http://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776/8764246.html
(その時の一文を下記に転記する。)

「工房の隅に大きな来館者用のテーブルがあり、案内の夫人から、今お茶を持ってくるのでここで待つように言われる。暫らく待つとテイ―ポットに入れられたお茶が運ばれた。藍色をしている。何のお茶かと聞くと、「アンサン」と言う。ああ、これがそうか。去年バンコクのルンピ二公園で、女性が小さな花を摘んでいた。何にするのか聞いたところ、「お茶にする」、と言っていた。健康に良いお茶で、タイでは「アンチャン」と呼んでいる、と言っていたが、あの時のお茶と同じものなのか。

「อัญชัน」、タイ語ではこう書いて、「アンチャン」と呼ぶ。案内の夫人にタイの「アンチャン」(อัญชัน)とおなじものなのか?と聞くと、そうそう、ラオスでは「アンサン」と呼ぶが、タイでは「アンチャン」、同じお茶です。との返事だった。

ルンピニ公園では葉を噛んで、お茶の味を想像したが、今はここでこうして実際に「アンチャン」を飲んでいる。さっぱりしたハーブテイ―だ。心が何か軽くなるような味覚である。味覚と言う程のものはない、味覚があるような無い様な薄い味覚である。ポットの中を覗くと、お湯が真っ青に染まっている。ギセイ(擬製)の青と同じ透き通った青だ。如何にも身中の毒素を綺麗さっぱり浄化してくれそうな色だった。

いろいろ聞き尋ねここへ来て良かった。ここで藍染工房を見、又、アンチャンを飲めるとは。ポットの中には3-4杯分のアンチャンテイ―(น้ำอัญชัน)が入っていたが、残さず飲み干し、夫人に礼を言う。これがLao’s Hospitalityと言うものだろう。」

このルンピ二公園では、僅か半年後にこの様な奇遇に遭遇するとは思いもしなかったが、偶然は希なるものとしみじみ思った。しかしそれは半年後のことであり、今はただ珍しい色合いの花を摘み、その何枚かをテイッシュに包み、ショルダーバッグに収め、ご婦人たちにはお礼を言い、更に歩き続けた。

公園のあちこちには高校生の一団がいて、どうも今日は写生会に来ているようだ。それぞれキャンバスに向かって、何かを描いている。長閑なものだ。出口付近で中年男性が近づいてきて、「日本人か」と聞いてくる。いや、「日本人だろう」と聞いてきた。どうして自分が韓国人や中国人と間違えられないのか、不思議ではあるが、大体どこの街へ行っても間違られることはない。唯一、ハジャイの街で、シンガポーリアンと間違えられただけだ。欧米では時々中国人と間違えられたりもするが、アジアに於いてはそういうことはない。自分の顔のどこかに日の丸でも描いてあるのか・・。 その男性と最後に1枚記念の写真を撮り、この公園を後にした。
 
 
 
 
外の騒音は響かず、緑濃い空間が広がっている。
 
 
 
中央池を巡って歩く。
 
 
 
NY,セントラルパークを思わsる空間だ。
 
 
 
今日は高校生の写生会でも行われているのか・・
 
 
 
タイ人男性との記念写真。
 
 
 
約2時間の散歩をし、公園を後にする。