ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(132)「ワット・パークナム寺」(วัดปากน้ำ)の蝋人形。

ワットパークナム寺新館の最上階のすぐ下は黄金の間だ。
 
 
 
煌めく黄金の輝きである。
 
 
 
ああ、この尊者が寺の創建者か・・。
 
 
 
そのご本尊に人々は熱心にお参りしている。
 
 
 
さて、本館1階では人々は又綺麗な花飾りをしている。
 
 
 
 
 
 
最初にこの寺に来たのはもう5-6年前になるか・・、チャオプラヤー西岸のトンブリ地区を歩いていて、何か迷路のような道の先に偶然この寺の前に出て、その正面にタイ語で寺院名を書いてあるそのすぐ下に、カタカナ文字で「ワットパークナム寺」とのプレートが掲げられていて、「おや」と思った。何でこんな所にカタカナで書かれた寺院があるのだろうと。

何気なく入って見ると、大層立派な寺院で、床は綺麗な大理石、磨き抜かれた御影石で出来ていて、当然履き物を脱いで素足で歩くのだが、そのひんやりした感触が気持ち良かった。堂宇の真ん中に先刻お参りしたご本尊があって、そのご本尊にお参りした後、裏の境内を歩いていたら、木陰で日本人に似た僧侶が中年のタイ人に何かを教えている。近寄って挨拶をすると、その僧侶は正しく日本人で、今日会えなかった平田師だった。そのタイ人の男性に日本語を教えているとのことだった。

一旦平田師の個室に案内され、この寺で修行している経緯を伺ったが、彼はこれから所用でバンコク市内に出かけるとのことで、後の案内をそのタイ人、ソムチャイにお願いして出て行った。丁度昼時で、ソムチアからはこの寺で振る舞い飯を食べられる、との勧めもあったが、当方この寺の信者でもなく遠慮し、彼の案内で寺の外に出て、古びた食堂で一緒にお昼を食べた。そこで飲んだ豆乳が、多分タイで初めて飲んだものと思うが、随分美味しくて、以降、タイを訪問する度に豆乳を飲むことにした。

そうして食事中、この寺には瞑想室がある、一度見ていったらよいと言われ、二人して再び寺に戻った。そこはご本尊の上の2階の部屋で、彼に教えてもらわなければ、部外者には分からない場所だった。50坪位のやや小広い部屋で、正面には高層が何人か坐していた。特にその真ん中の高僧は、威厳と言うか、達観というか、俗世間から垢抜けた感じの僧侶だったが、人々はその僧侶に向かい合うような形で瞑想にふけっていた。

僧侶も微動だにしていない。息をしている筈だが、鼻腔も動かない。近づいてまじまじと顔を観察したが、どうも良く分からない。生きているようには思えない。即身仏なのか・・。タイの仏教は修業が厳しく、生きたまま佛になる修行もあるのかも知れない。間近で見ても、矢張り息はしていない。ミイラ佛に違いない。一人そう思ってソムチャイに聞いてみると、この仏は本物の人間ではないという。精巧に作られたロウ人形だという。・・ああ、成程、ロウ人形だったのか・・。あのタッソー館で歴代の米国大統領そっくりに制作された蝋人形と同じなのだ・・。

あの時タイで始めて見たロウ人形。一時は生きている僧侶とばかり錯覚もした。それ程人にそっくりに作られている。この寺に来て、あの時の瞑想室へ立ち寄るのを忘れていた。新館の最上階からバンコク市内を眺め、そそくさと階段を降り、再び本館に戻り、主祭神の上の瞑想室に行くことにした。
 
 
 
 
本館2階の瞑想室は静寂が漂っていた。
 
 
 
以前にも見て感動した生き仏だ。
 
 
 
全く生きている人と寸分違わぬ蝋人形だ。
 
 
 
人々はその尊者に対座し、深い瞑想をしている。
 
 
 
2階から1階、ご本尊に祈りを捧げる人々の様子を見る。