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日々の連続

御巣鷹慰霊登山の旅(5)島崎藤村「千曲川旅情」。

水の手展望台の前には藤村の「千曲川旅情」の碑が立っている。もう既に100年近くの歳月を経て、文字も薄く消えかかっている。
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藤村碑の石柱も既に古色蒼然としている。
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薄れかかった、しかも難しいかな文字を懸命に読み進む同行の吉崎氏。
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千曲の水面は秋の稲田に映えている。前方は八ヶ岳の連山だ。
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最後に記念写真を撮り、この高台を後にした。
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明治の中頃、明治学院を卒業した島崎藤村は、先刻二の丸にあったレリーフ、木村熊二に招かれ、英語教師としてこの地にやってきた。ここからほど近い木曽の馬篭は藤村の生まれ故郷でもあった。木村熊二はこの地に小諸義塾を創立し、校舎はこの小諸城内、当時は既に名を改め懐古園内にあった。

藤村が戦前戦中戦後の殆どの国民が一度ならず口ずさんだ「千曲川旅情」、即ち、「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ・・」の詩を詠んだのは、実にこの懐古園内の今我々が立っている展望台の上であった。教師時代しばしばこの展望台にやってきて、濁り酒を酌み交わした事だろう。今その展望台の取り付けに、昭和の初めに設置された銅版の歌詞が置かれている。既に90年、雨風に薄れた文字と睨めっこし、吉垣さんが一字一字を読み上げている。当方が展望台に立ち、家達の心情を想ったと同じように、今彼は藤村の詩情を追っている。

実に見晴らしの良い眺めだ。高度差100mはあろうかと思える断崖の上に立つ展望台。遥か下に千曲川が蛇行している。田畑では刈入を前にした稲穂の波が遥か先の山の端、それは甲州との境を為す八ヶ岳霧ヶ峰、美ヶ原に連なる峰々だが、その際まで波打っている。その連峰を越えた先には藤村の故郷木曽路があるのだ。「遊子悲しむ」。今思えばそれは藤村自身を詠っていたに違いない。

展望台の上から三人三様の思いで眼下の千曲川、佐久の盆地を眺め、古を想い詩情を描き、記念の写真を撮って、この舞台を後にした。次に向かったのは「酔月橋」を渡った先の城外にある小山敬三美術館だ。この橋を渡る際に、空堀を越えた高台に今見て来た「水の手展望台」が、弧塁のように立っていて、情緒を掻き立てた。



次に城外の小山敬三美術館に向かう。
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一旦城外に出るが、途中の空堀にかかる「酔月橋」から先の展望台を眺める。いずれの日にか、あの高台で酒を酌み交わしたい・・
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敬三美術館へ行く途中に、寅さん記念館があった。全国を旅したフーテンの寅さん。この地へもやってきて、三田佳子と共演したようだ。今度BSで放映したら、忘れずに見てみよう。
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小山敬三美術館の前庭には浅間の噴火で飛ばされた岩石が展示されていた。本当の火山岩だ。
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美術館の前には、今花ミズキが満開に咲いていた。
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