越秀公園、最頂部からは、広州市内が一望できる。
山頂にある孫文記念碑が建てられた昔は、市内でここが一番高い場所だったが、今は周辺の高層ビルが圧倒している。
街の見事な発展ぶりだ。
孫文記念碑の前で写真を1枚撮る。
もう一度石碑を眺め下山する。
公園の中の一番高い頂き、と言っても100mあるかないかの高さだが、そこには孫文の業績を讃える巨大な石碑が建っていて、嘗てはこの場所が広州市内で一番高い場所であったであろう、市街地の四辺が良く見渡せた。しかし一番高かったのは戦前の中華民国時代のことであって、戦後の今、中国もこの町も目覚ましい発展を遂げ、今はこの山頂を凌駕する高層ビルがあちこちに建っている。黄泉の国で目覚ましいこの大発展を見ている孫文はどう感じているだろうか・・。街を眺め、記念碑の前で記念写真を1枚撮り、山を下りることにした。閉演時間もあるだろうし、いつまでもここに留まってはいられない。
下山は今度は入ってきた正門とは反対側に下って行った。正門は地下鉄の駅からも近く分かり易い場所にあったが、裏口はそうでなかった。孫文記念碑から真っすぐ幅広の石段が作られていて、戦前の民国時代にはここが石碑への参詣道になっていたと思われるが、その後、地下鉄が開通し、人の流れもそちらに移って、嘗ての正面参道は、今は殆ど人の通らない静かな裏参道となっている。尤も、もうこの時間だから、上がって来る人は皆無で、より心細さを覚えたが・・。
山頂から下山口までは凡そ800m程か。所々休憩スペースがあったり、何等かの休む場所が作られている。かなり急な石段の参道だから、そうした一時休憩する場所がないと、若い人でも一気に登るのは大変だ。尤もこの参道は今では余り利用する人も少ないせいか、中国人の好きなお茶屋とか屋台、休憩所、四阿等はなく、単にベンチとかが置いてあるだけだ。途中一か所、ちょっとした広場があり、何か記念碑のようなものが建っている。周囲はもうかなり薄暗くなっていたが、興味本位で見に行ってみる。薄暗い中透かして見ると「孫先生讀書治事處」と出ている。ああ、学問所だ。松下村塾のようなものだったのかも知れない。
裏の出入り口に着いた時には、陽はもうとっぷり暮れていて、辺りは夕闇が迫っている。通行人も少なく、地理も不案内で、心細い限りだが、兎も角賑やかな表通りに向かって歩いて行く。漸くバス通りに出た。が、どのバスへ乗ってよいのか分からない。道路に面して不動産事務所があり、中で働いていたOLに「光孝寺」と言うと、バスの番号と乗り場を教えてくれた。しかし、当方には乗り方が分からない。と、当方が日本人と分かった上での親切で、一番近いバス停まで案内してくれて、しかも、次にやってきたバスを止めてくれた。「謝謝」という言葉しか知らないので、乗車間際に思いっきり言って、バスに乗り込んだ。中国でも親切な人はあちこちにいる。全部が全部反日ではないのだ。むしろ街の人ぼ多くは親日家かも知れない。中国人に対する好意の感情を持って、ホテルに帰った。
下山は今度は入ってきた正門とは反対側に下って行った。正門は地下鉄の駅からも近く分かり易い場所にあったが、裏口はそうでなかった。孫文記念碑から真っすぐ幅広の石段が作られていて、戦前の民国時代にはここが石碑への参詣道になっていたと思われるが、その後、地下鉄が開通し、人の流れもそちらに移って、嘗ての正面参道は、今は殆ど人の通らない静かな裏参道となっている。尤も、もうこの時間だから、上がって来る人は皆無で、より心細さを覚えたが・・。
山頂から下山口までは凡そ800m程か。所々休憩スペースがあったり、何等かの休む場所が作られている。かなり急な石段の参道だから、そうした一時休憩する場所がないと、若い人でも一気に登るのは大変だ。尤もこの参道は今では余り利用する人も少ないせいか、中国人の好きなお茶屋とか屋台、休憩所、四阿等はなく、単にベンチとかが置いてあるだけだ。途中一か所、ちょっとした広場があり、何か記念碑のようなものが建っている。周囲はもうかなり薄暗くなっていたが、興味本位で見に行ってみる。薄暗い中透かして見ると「孫先生讀書治事處」と出ている。ああ、学問所だ。松下村塾のようなものだったのかも知れない。
裏の出入り口に着いた時には、陽はもうとっぷり暮れていて、辺りは夕闇が迫っている。通行人も少なく、地理も不案内で、心細い限りだが、兎も角賑やかな表通りに向かって歩いて行く。漸くバス通りに出た。が、どのバスへ乗ってよいのか分からない。道路に面して不動産事務所があり、中で働いていたOLに「光孝寺」と言うと、バスの番号と乗り場を教えてくれた。しかし、当方には乗り方が分からない。と、当方が日本人と分かった上での親切で、一番近いバス停まで案内してくれて、しかも、次にやってきたバスを止めてくれた。「謝謝」という言葉しか知らないので、乗車間際に思いっきり言って、バスに乗り込んだ。中国でも親切な人はあちこちにいる。全部が全部反日ではないのだ。むしろ街の人ぼ多くは親日家かも知れない。中国人に対する好意の感情を持って、ホテルに帰った。
山頂近くに自生している赤い花。花の名前は分からない。
赤い青木の実のようなのも落ちていた。
下山途中にあった石碑。嘗ての孫文の学習塾の跡のようだった。
公園裏口へ着いた時には、陽はもうとっぷり暮れていた。越手公園の文字が漸く見えた。