ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(115)深圳駅への道すがら。

市の中心部には太平洋貿易のビルもある。これはマカオにもあったし、確かに30年前、上海浦東地区の開発が始まった当初にできたのが、太平洋百貨店だと思ったが・・
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街の中心部にはビルに囲まれた小川も流れていて、街に潤いを与えている。
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その畔の横のビルには深圳棋院の看板も見える。
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さて、中心部の銀座4丁目を後に深圳駅に向かう。
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駅前プロムナードの街路樹は鬱蒼としている。
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樹齢は僅か50年程度だと思うが、南国の木で、成長が早いのか・・
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世界のブランドショップが軒を連ねる深圳銀座に目を見張り、周辺を一渡り見回し、深圳駅に向かうことにした。先刻バスに乗る前に、ほんの少し駅前を歩いたが、あの鬱蒼した駅前街路樹をもう一度見てみたい。ここから駅までは10分もかからないだろう。

東京お茶の水神田川があったり、その先の市谷のお堀、或いは大阪に道頓堀があるように、ここ深圳にも街の真ん中にちょっとした川がある。人工的に作られた川なのか、昔の小川を改修して堀川にしたのかは分からないが、両側を高層ビルに囲われてははいるが、都市の中にこうした水の流れがあるのは、都市に潤いを与える。

ソウル明洞の先にある清流チョンゲチョン(清渓川)は、それ以前には上を高速道路のコンクリートに覆われていたが、数年前にその高速道路を取り払われ、50年ぶりに綺麗が清流が蘇った。2020年、オリンピックまでの後3年では無理かも知れないが、日本橋川も上の高速道を取り払えば、江戸時代の清流が戻て来るかも知れない。この都市の中心部を流れる小川を見て、そんなことも想った。

その小川の畔のビルの中に、深圳棋院の看板も見える。中国棋院深圳支部だろう。囲碁の最初のスタートは中国だったが、その後廃れて人々の中から囲碁は数百年に亘って忘れ去らていた。その間囲碁は日本でのみ継承され発展してきたが、戦後暫く、昭和30年代になってから、中国、韓国でも囲碁が盛んに行なわれるようになり、今や日本の囲碁界はこの2国の後塵を拝する状況になっている。

どうしてこうなったのか、日本人自身も理解できないが、今のところは中国人も韓国人も日本人よりは強い。数年前タイへ行った時に、バンコクのデパートの中でタイ人の若者同士が囲碁をしていたので、飛び入りで相手をしたが。かなり強かった。囲碁がタイにまで普及しているのかと、瞬間嬉しくなったが、日本発祥の近年囲碁もその内中国や韓国に本家争いのお株を奪われるかも知れない。

駅に向かう幅広のプロムナードは緑鬱蒼とした見事な街路樹のアベニューになっていて、この街がゼロから建設された当初に植えられた樹木は、南国で成長が早いのか、隆々たる高さを誇っている。シンガポールの中心通り、オーチャードには背の高い椰子の街路樹が涼し気な葉影を作っているが、ここ親善では、葉の密の緑の屋根を作っている。これだけ葉が茂っていれば、突然の通り雨でも暫くは濡れずに済むだろう。

駅に近い場所には、警察署もあり、パトカーが何台が止まっていたが、人影も見えす、多分事件もなくて暇にしているのだろう。労働者の労働争議さえなければ、この街の治安もそれ程悪くはないのだろう。その警察署のほんの直ぐ先が深圳駅で、先刻見た駅前広場の講演も見えてきた。さあ、これから手荷物預かり所でリュックを受け取り、国境、ではない、境界を渡り、香港に戻ることにしよう。



いやー、すごい緑の屋根になっている。
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市内高速道、バイパスなども整備されている。
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駅前には警察署もある。深圳公安処、警察本部だ。
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公安警察のパトカーだ。
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事件が少ないのか、パトカーも暇そうにしていた。
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中心街から歩いて約10分、深圳駅が見えてきた。
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駅前広場の公園。水辺で遊ぶ子供も見える。
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