ちゃおチャオブログ

日々の連続

617.(月・晴れ)鬼親、鬼子。社会の病巣。学者は立ち上がれ!家庭が抱える地雷原。

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今も現在進行中である高齢者の交通事故。漸く行政が動き出し、都ではいち早く緊急発進を防止する特殊ブレーキ装置の設置費用を援助したり、国の方でも地域、車種等の限定免許、或いはメーカー独自の暴走防止車両の開発など、世の中が高齢者運転野放しの状態から段々法規制や安全車両の導入に動いてきて、好ましい傾向だ。事故の被害者を初めとする国民の多くの声が行政を好ましい方向に動かしていく、一つの契機、日本の社会が良い方向に向かって行く姿を見ていると、まだまだ日本は健全な国だと心から思う。

高齢者事故は良い方向に動き出したので、少しはほっとするが、今また浮き上がってきているのは、家庭内の鬼親、鬼子。札幌では鬼のような母親が2歳の自分の娘を餓死させたり、野田市では夫婦が揃って6歳女児をせっかん死させたり、又去年の世田谷4歳児童、「おかあさん、もうかんべんしてください。もうわるいことはしませんから」と覚えたてのつたない文字で母親に訴えたのも甲斐なく、殺されてしまった幼女。日本は鬼が支配する社会になってしまったのか!人間の親が人間であることを放棄し、鬼になって我が子を殺していく。こうした世情を見ていると、日本はいずれ衰亡し、国自体が破滅していく前兆ではないのか、と危惧するのは自分だけではないだろう。

社会やマスコミは、やれ、児相の対応はどうだったのかとか、市や国の対応を問題にしているが、この問題の底辺にあるのは、そういう表層的な問題ではない。日本に数多いる社会学者、家庭問題評論家、等々の学者から、こうした人間性の末期的状態を分析し、解説し、それを矯正していく道筋を聞いた覚えはない。学者としての存在価値は、児相の対応を非難することではなく、こうした非人間の家庭が生まれてきた背景、原因、精神構造、その他、根に関わる問題点を明らかにし、日本の社会を変えて行くことである。一人の社会学者では困難であれば、学者が共同して、連名で、社会に対し提言して行くべきである。それが高度な知識を有する学者としての存在価値なのだが、この非人間的な蛮行を食い止めるためにも、皆さんは共同作業をいとわず、社会を変えて行く方向の推進役になってもらいたい。

幼児の虐待には目に余るものがあるが、各家庭が抱えている地雷原もある。先般の農水省元次官の我が子の殺害事件、今回の関西テレビ常務の息子の警察官殺人未遂事件、山形大学生の歯科医師殺人事件、等々、普通の家庭か、それ以上に裕福な家庭に育った我が子が鬼っ子に育ってしまい、手に余った親が子供に手をかけて殺してしまう。或いは、その反対に、子が暴発し、親を殺したり、凶悪社会問題を起こす。いつ我が子が同じような狂暴犯にならないかと、少なからぬ親も心配しているだろう。この問題も上記の幼児虐待と同じような、人間性の喪失から由来しているものと思う。この問題についても社会学者に奮起してもらいたい処である。テレビのコメンテーターとして、名前の売れている学者もいるが、日本の学者はレベルが落ちているのか! ただ東大を出ればよいというものではない。社会を変える力になって欲しい。


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