常楽寺本堂をお参りし、次に大師堂に向かう。
大師堂ではお大師様の尊顔を拝観できる。
中が暗くて、よく見えなかったが・・。
大師堂の前にはあららぎ大師を祀る大木がある。
四国霊場・徳島編の最終日、今日最初の霊場巡りは第十四番常楽寺。流水岩という昔川底だった岩石が隆起して、今見るような小高い丘にせり上がったが、嘗ての造山活動の妙だ。世界一高いエベレストも地表が盛り上がって、8000mを越える高さまで押し上げたが、こうした隆起地表を見ると、地球の躍動、長い年月での大きな変化を感ずることができる。今でこそ科学が発達してこうした造山運動を科学的に説明できるのだが、空海が生きていた1200年前には人々にそうした知識もなく、この岩肌の丘を見て、天の配剤、何か不思議なエネルギーを感じていたかも知れない。
この寺の本尊が弥勒菩薩であるのは、空海が若いころこの寺で修業していた時に、弥勒菩薩を感得し、霊木に菩薩を刻み、本尊にしたとのことである。弥勒菩薩を本尊とする寺は八十八ケ寺の中で、この寺のみである。弥勒はマイタレーヤ、マイタレーヤソワカ。以前オーム真理教にこの名前を付けた幹部もいたが、弥勒菩薩はお釈迦様が入滅後、56億年後にこの地上に表れて、お釈迦様の次に仏陀になる仏と言われ、お釈迦様に代わって衆生を救済するという。誠に気の遠くなるような長い将来の話であるが、この境内の地表の造山活動を思えば、億単位の年月は、仏の世界では今の人間が考える程、長い年月ではないのかも知れない。
この寺にはあららき大師という、あららきの木、これはイチイの大木のことであるが、その樹幹に誰が彫ったのか、大師像が祀られている。樹周8m、樹高10mを越える巨木の二股に枝分かれした真ん中に鎮座しているが、糖尿病平癒祈願に験があるという。大師が彫られた弥勒像の材質は何の木かは知らないが、国宝京都広隆寺の弥勒像は、赤松と楠である。この寺の木は何だろう。大師堂にお参りし、このあららぎ大師にお参りし、この丘上の境内を下り降りて、次の観音寺へ向かった。
この寺の本尊が弥勒菩薩であるのは、空海が若いころこの寺で修業していた時に、弥勒菩薩を感得し、霊木に菩薩を刻み、本尊にしたとのことである。弥勒菩薩を本尊とする寺は八十八ケ寺の中で、この寺のみである。弥勒はマイタレーヤ、マイタレーヤソワカ。以前オーム真理教にこの名前を付けた幹部もいたが、弥勒菩薩はお釈迦様が入滅後、56億年後にこの地上に表れて、お釈迦様の次に仏陀になる仏と言われ、お釈迦様に代わって衆生を救済するという。誠に気の遠くなるような長い将来の話であるが、この境内の地表の造山活動を思えば、億単位の年月は、仏の世界では今の人間が考える程、長い年月ではないのかも知れない。
この寺にはあららき大師という、あららきの木、これはイチイの大木のことであるが、その樹幹に誰が彫ったのか、大師像が祀られている。樹周8m、樹高10mを越える巨木の二股に枝分かれした真ん中に鎮座しているが、糖尿病平癒祈願に験があるという。大師が彫られた弥勒像の材質は何の木かは知らないが、国宝京都広隆寺の弥勒像は、赤松と楠である。この寺の木は何だろう。大師堂にお参りし、このあららぎ大師にお参りし、この丘上の境内を下り降りて、次の観音寺へ向かった。
高さ10m程のあららぎ(一位の木)の枝分かれ部分に大師が鎮座している。
あららぎ、いちいの木の種類のようだ。
病気祈願をし、この寺を辞す。
寺の裏側のなだらかな坂を下りおり、次の観音寺に向かう。