ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(34)京都タワーから市内を眺め、夜はホテル地下の飲食街で夕食。

  • 京都全体の景観は50数年前とそれ程変わっていない。南側は山も無く開けている。

     

大きく変わったのは眼下の京都駅だ。モダンなビルに建て替えられている。

 

  • 最初にできた頃は、その斬新さに目を見張った。

  • 同時に駅前も機能的に整備された。

50数年ぶりに昇った京都タワー。自分が大学2年の頃だったから、もう57年も前のことになる。丁度その頃新幹線も開業し、当時の最速新幹線こだまに乗ってやってきた。その頃の駅は富士や掛川は無く、安城も無かった。こだまであっても豊橋とか岐阜羽島はノンストップで通過した。


タワーそのものは建設当初のままの状態で、高さ130mからの上空の京都市内の眺めも多少のビル群は増えたかも知れないが、全体のフレームワークは昔と変わらず、京都盆地の東西北の3方向は山に囲まれ、南、伏見稲荷の方向だけが広々と広がっていた。遠くの情景は半世紀前とそれ程変わらないとしても、目の前の京都駅は大きく変わった。もう30年になるか、古い駅ビルを取り壊し、全く斬新な京都駅が誕生した。東西が細長い構造で、中に伊勢丹が入居していて、1階から7階までの乗り継ぎエスカレーターは最上階から下って来た時には全体の管内の景色が眺められて、実に面白い構造だった。

大阪へ来た帰り道、わざわざ京都駅で下車し、このビル内で食事し、屋上に上って京都市内を見たことも1-2回はあった。大阪での仕事で大木先生と一緒に下車したこともあった。あの頃の日本は確かに元気で、こうした斬新な駅ビルも輝いていた。学生時代、この町で3か月を過ごし、今またタワーの展望台から市内を眺めているが、この半世紀で町が少しは変化したように、自分も少しは成長しただろうか・・。全く無駄な50数年だったとは思いたくない。

足の疲労が激しく、夜又外に出てどこかに食事を摂りにいく元気もない。このホテルの地下がフードコートになっていて、何店かの飲食店が営業している。ホテルからエレベーターで、そのまま行ける。何を食べたいとの意欲も無く、お腹に入れば何でも構わない。エレベーターを降りて目に付いた場所に天丼やあって、それに決めた。まあ、グルメ旅行に来たのではなく巡礼に来たのだからこんなもので良いだろう。ゆっくりビールを味わい、そのまま部屋に戻り、風呂に入り、ベッドに横になった。

 

もう再びこのタワーに昇ることもないだろう。

 

上空からの京都の見納めだ。

 

夜はホテル地下のフードコートで夕食だ。

 

京都タワーホテル。まあ、中々良いホテルだった。