ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(20)マカオの街歩き。

マカオ通関を出ると各カジノから派遣された美女軍団に客引きされる観光客。
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税関ビルの前は広い駐車場になっている。
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地下道を潜って駐車場へ出る。
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駐車場からマカオ税関ビルを見る。
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初めての土地、マカオに上陸した。以前だったらポルトガルの植民地で、当方パスポートにはマカオ政庁の入国スタンプが押された筈であるが、ここも香港同様、パスポートには印を押さずに、小さな紙が渡された。それは電磁式記録の控えで、澳門警察局出入境事務所が発行したもので、在澳逗留期間を定めたもので、1か月間は滞在できることになっていた。北朝鮮金正日の息子金正男がどんな風にしてこのマカオまで逃げ延びて来たのかは知らないが、彼も入国に際してはこの小さな紙を渡されたに違いない。いずれにしても香港ではこのような記録紙すら渡されなかったが、マカオ同様にコンピューター上では出入国はきっちり管理されていたに違いない。しかし旅行者が後からパスポートを確認しても、いつ香港ー澳門を旅行したのかは、分からなくなってしまいそうだ。良くは分からないが、国に準じる2つの地域・準国家が中国に併合されたことによって、公式の記録からは消えてしまったことになった。

そうして通関を済ませ入国ロビーに出ると、ファッションモデルのような背の高いバニーガールが列を作って歓迎してくれる。ハワイではフラダンサーがレイの花輪で歓迎してくれたが、ここマカオではバニーガール! 何か分からないが、この美女グループは、マカオ市内の各ホテル、カジノ、娯楽場の客引きで、パンフやらクーポンを各観光客に手渡している。その内の一つを手に取ってみると「STUDIO CITY」のPRパンフだった。当方賭け好きの金正男とは違って、賭博をしにマカオへ来たわけではない。モラエスの故地を尋ねにきたのだ。そうし美女軍団の誘惑を振り切って、外の駐車場に出た。

駐車場では各カジノ専用の送迎用マイクロバスが折からやってきた客を乗せて賭博場へ運んでいく。・・良いカモになるのか、億万の賭け金を手にするのか・・。金正男がそうであったように、大概の人はスッカラピンになって戻ってくrのだろう。当方はそれ等の送迎車を無視して、市内循環のバスに乗る。香港のバスよりは旧式で、勿論2階建てでもない。街の中央付近、賑やかな通りに出た所でバスを下車し、周辺を歩く。

最初に目に付いたのが、警察本部。警察本部の正面に石碑があり、この警察署は300年前にこの場所に設置されたとのこと。1691年のことだ。日本で言えば江戸時代、松尾芭蕉がまだ壮年期で、あちこち諸国を俳句行脚していた頃だ。ポルトガルがこの地を植民地化してまだ間もない頃だっただろう。先刻入管でも国境管理は治安警察局だった。300年前の植民地時代もこの街を管理していたのは、軍隊ではなく警察だったのか・・。旧市街地の殆ど中心部に建物は鎮座していた。



このビルはいつできたのだろう・・。中国復帰前からあったのか・・。
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税関前の駐車場からは市内バスに混じって、カジノ送迎のマイクロが多数駐車していた。
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当方、市内循環バスに乗って、旧市街中心地で下車する。何かポルトガル風のマンションだ。
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小さな公園もあって、この辺が旧市街の中心地であったに違いない。
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小公園の前には警察建物もある。治安警察局だ。
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1691-1991年。・・うーん、300年の歴史か・・
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