ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(191)バルセロナ・オリンピック・スタジアム。

カタルーニャ美術館の後方、200m位の場所にオリンピックスタジアムがある。
イメージ 1



カタルーニャ美術館に別れを告げて、スタジアムに向かう。
イメージ 2



1992年、この国で初めてのオリンピックが開かれた。
イメージ 3


あの白い塔はスタジアムのシンボルタワーだ。
イメージ 4


バルセロナオリンピック競技場。25年前の熱狂が思い出される。
イメージ 5




カタルーニャ美術館はモンジュイックの丘の上にあり、この丘は全体がなだらかな丘陵地になっていて、深い緑の林と、幾つかの公共施設が造られている。今見てきたばかりの美術館の前のオープンテラスで一休みし、これからこの裏手にあるオリンピックスタジアムに向かうことにした。小奇麗な小径数百m、美術館の直ぐ裏手に位置している。スタジアムのランドマーク、真っ白なシンボルタワーが建っているので、場所は直ぐに分かった。

バルセロナオリンピック。今から25年前の1992年に開催されたスペインで最初のオリンピック。スペインの今の国力からすると、多分これがこの国の最初で最後の開催となるだろう。日本人では当時中学生の岩崎が200m平泳ぎで金メダル、女子マラソン有森裕子も大活躍し、銀メダルを獲得したが、他にも400m走の高野進がファイナリスト、柔道女子も大活躍し、ヤワラちゃんこと田村亮子(現姓谷)が「投げても金、倒れても金」、と公言し、複数メダルを獲得し、日本人を大いに喜ばせたものだった。

あれから既に四分の一世紀。当時10代20代のアスリート達はもう皆既に中年の域にあり、中年だった自分はもう既に老境の域にある。時代を映す競技場。人は時と共に老い衰えるが、この競技場は真新しい。時々のRenewal工事が新鮮さを保ち、更なる記録の向上に貢献しているのだ。日本で神宮球場が出来たころ、丁度ここバルセロナでも万博を記念しての競技場が出来た。その古い競技場は1992年のオリンピックに際し解体再築された。今東京では神宮球場が解体され、2020年を目指して新競技場が急ピッチで建設中だ。まだ名前は決まっていない。ネーミングも公募していない。多分、事業主体は新競技場が完成した後に、どこかリッチな企業に数100億円単位で、命名権を売る積りでいるのだろう。

この球場が長らくオリンピック委員会会長を務めたサマランチの名前を冠して呼ばれているかどうかは自分は知らない。しかしこの競技場のすぐ横、小高い小山をくり抜き、半地下状態にした建物があり、それはサマランチを記念してのスポーツ博物館になっていて、オリンピック関連の品々が展示されていた。アントン・サマランチバルセロナ生まれのカタルーニャ人。地元の誇りであるに違いない。


高野進有森裕子、その他、柔道、水泳等々、日本人選手の大活躍が思い出される。あれからもう25年も経ったのか・・。
イメージ 6



モンジュイックはなだらかな丘で、山頂とか頂上と言った特別高い場所はないが、このスタジアムの直ぐ横が、この丘で一番高い辺りになるだろう。
イメージ 7



その小山の下に、半地下状の建物がある。スポーツ記念館だ。
イメージ 8



永らくオリンピック委員会会長を務めたこの町の出身者、アント二・サマランチを記念しての建物だ。
イメージ 9



中にはオリンピック関連のグッズが展示されている。
イメージ 10