ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(57)再びのヤンゴン。

マンダレーからの夜行バスは途中の休憩所で夜食の時間を設けている。
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ヤンゴンバスターミナルに到着し、タクシーで案内してもらったホテル。
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街の郊外にあるが、建物は新しく、悪くはない。
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室内も値段相応にきれいだ。
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テレビもちゃんと映っている。
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先ずは早速温水シャワーを浴びることにした。
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昨夜の夜行バスでヤンゴンを出て、今朝、まだ外が暗い内にマンダレーに到着し、30年も前のオンボロダットサンを運転手込みで約5000円で借り上げ、今日1日かけてマンダレー市内及びその周辺の主な遺跡を回り、夕方またこのバスターミナルに戻ってきて、又々とんぼ返りの夜行バスでヤンゴンに戻ってきた。

20代のタフな若者でなければ出来ないような超過酷なスケジュールを、60後半の人間がここミャンマーの地でするとは夢にも思っていなかったが、60数年前、この地の飢餓街道で命を失くした多くの将兵の過酷さからすれば、バスの柔らかな座席の上で眠られることなど、全く彼等から見れば夢のような贅沢に違いない。

しかしそうは言ってもタイトスケジュールであることには違いなく、従って今回の旅行記を「マンダレー特急旅行」と名付けたが、実の処「特急」どころか「超特急」、いや「ハチャメチャ旅行」と言った方が似合っているかも知れない。「どうだ、若者! オレのような旅行が出来るか! 出来るならやってみろ!」 と、内心は自身のタフさを褒めてやりたい気持ちもあった。

早朝7時、ヤンゴン北郊のバスターミナルに到着し、このターミナルと空港とは違い場所にあり、この時間に到着するなら、マンダレーで1泊し、翌日のバスでヤンゴンまで戻り、そのまま空港へ直行すれば、明日の10時に出発するバンコク行きの飛行機に充分間に合ったかも知れない、などとも考えたが知らない土地、交通事情も分からないので、1日早く戻ったことを正解としておこう。今年1月の飛行機乗り過ごしの轍を二度と踏んではならない。

バスターミナルも空港も町の北側にあり、今晩1泊だけのホテル、何も街中まで出ることもない。タクシーの運転手にどこか空港近くの安いホテルをとお願いしたら、案内されたのはHotel Corolla。1泊30ドルとやや割高だが、まあ1泊だけだから良いだろう。深夜バスの冷房が効き過ぎ、大体5-6度位まで冷やされていたと思うが、バスを出た外気も10度位と案外冷たく、凍えそうな思いをしていたが、ホテルにチェックインし、暖かいシャワーを浴びたら又元気を取り戻し、早速にも残り1日のヤンゴン観光に出ることにした。
 
 
 
ホテル近くの公園。
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大きな貯水池のような池などもある。
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街を走るバスは大体が日本製のようだ。
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ああ、珍しいバスが走っている。どこかの幼稚園で使っていたものだ。
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小宮山こたろう、平山ゆり、幸田すずか、小林はるか、寺沢大基、石川ゆうか、鈴木さやか、・・。当時の幼稚園生ももう既に大人になっているだろう。
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この名前の中の誰か一人でもこのブログに気がつき、幼少の頃の思い出のバスを認めたら、他の同級生にも伝えて欲しい。自分たちの思い出のバスが異国の地でまだ活躍しているよ、と。
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